

柿はよく絵の画題にされている。小中学生の図画工作、美術の授業からアマチュアの画家たちの制作まで、手に入りやすい画材で、しかもそれを食べてお終いにできるというおまけ付きだからなおさら。
Mas、みんなが描くということは、それがありふれ過ぎているということでもある。どんなに上手に描いても、それだけではもうインパクトがない。高名な画家たちは美味しそうな熟した色の柿を避け、あえて青柿を描いた。日本画家の小林古径「青柿」などはそういったなかの名作のひとつだろう。
青柿をしげしげと見る人は、柿の生産農家や家族用の庭木として育てている人以外にあまりいないと思う。一般の人にとって、柿とは商品になってスーバーに並んでいるものであって、画家たちは逆に、商品になった(なってしまった)柿などに画題としての興味がなく、まだ手つかずの、それも商品価値のまったく無い「青い柿」にこそ、ナイーブな芸術の香気を見出した。
一方、「アイスクリーム」「天ぷら」など、人の手で加工された「商品」を、今の若い人たちはむしろ「新しい画題」として正面から捉えている。コマーシャルアートとしてではなく、純粋なアートとして。「お弁当」とか「ラーメン」を画面いっぱいに描かれた作品を始めて見たころは「こんなものを描く気になるのか」という衝撃を受けたものだったが、今ではそれすら古典的な感じさえしてきている。
さて画題としての「青柿」はこの先どうなるだろう。伝統的画題のままやがて描かれなくなって終わるのだろうか。かつての画家たちが感じた「ナイーブな香気」を、わたしもまだ少しは感じる派なのだが・・。