立体感

手前が水彩で描いた絵奥が実物(制作時はもっと上からの視線)

見る人が絵に求めるものは様々ある人は写真そっくりなものがいいと言い或る人は写真のようじゃ詰まらないというまたある人はそもそもかたちなど必要なく色さえ無くていいという実際にキャンバスをそのまま展示したりそこに傷やシミを作るだけで「作品」という作家もいるなるほど確かにそれも有りだ見る人がそこに何かを「見出す」ならば

子どもの頃はそんなとは全然考えたこともなかった実物そっくりに描きたいと思ったこともなかったが「頭の中にあるものは眼に見えるようにしたい」とは強く願っていたのは間違いない

そんな時おとながちょっかいを出す「これを描いてみろ」どのおとなも想像力というものが無かったから写真のようにつまり写実的に描いて見せるより説得力のある方法はなかった子どもだからそんなことを論理的に考えたわけではないが直感的に分ってしまった
 それでいろいろなものを描いた特にお札を描くとおとなは面白がった紙幣はレベルが高いので描く側にも挑戦し甲斐があったからそっくりに描くには観察力が要るそれも描く側からではなく観る側に立っての大きくなってもそれらの(想像力に乏しい)要求は絶えることがなく従って今でもそれに応えるだけの写実力は捨ててしまうわけにはいかない

立体感を喜ぶ人が多いなぜだか本当はよく解らない。也许、平面なのに立体に見えるのが不思議な感覚になるのだろう描く側から言えば別に立体感など作っているわけではないただただ見えたもののデータを或る美術的関数の中に入れればこうなるだけのことだ創作力というのはその関数以外のこと描いているとそんな風に思えてくる

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高志的个人博客。不只是关于绘画、我每天都在想什么、你的感受、我想到什么就写什么。这个博客已经是第三代了。从开始到现在,已经有20多年了。。 2023从1月1日起、现在,我决定只在奇数天写作。。我会一点一点地思考我未来的方向和其他事情。。

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