数学

      「椿の実」  ペン

椿の実(と種)はいつ見ても宇宙をというより「真理」というものが本当にあるかもしれないとわたしを虚心にさせる

椿の実をバラしてみたことがあるだろうか庭に椿を植えている人でももしかしたらそういう経験がないかも知れない知らぬ間に実が弾け種が地面に落ちてしまっていることが普通だから
但、たまたま弾ける前の実を採っていたらそれを見ることができる(視覚的には)極めて単純なかたちの種がそこに在るのだがそれらがどう繋がっていたのかくっつけてみようとするとかなり難易度の高いパズルになるたったこれだけの個数なのにどれも微妙な凸面凹面を持っていてそれが立体である分パズル好きにも十分楽しめる

椿は花ももちろん美しいが弾けた実殻と種の不思議な魅力にもわたしは深く魅入られる。和、そこに美しい「数学」を感じる特にその種にはそれらが互いに似かよっているくせに同じかたちは二つと無いということを強く意識させられるそれはたぶんカボチャやリンゴの種のように1個1個が独立せず種どうしがくっついていることに依るからだろうけれどそれにしても一個一個のどれもが鋭く無駄のない曲線曲面を持ち「生物学的」というよりは「数学的」と呼びたい美しさだ
 オウムガイの螺旋とフィボナッチ数列との一致がよく知られているそんな “数学的論理性” が椿の種にもきっとあるはずだと夢想する

「不思議」は「理解不能」とは違うそれは別次元のことだ不思議さというのは一見すぐに理解できそうでいて「考えれば考えるほどさらにその先に引かれていくような深さ」のこと(そして最後にはちゃんと理解できるはずと信じられること)椿の種には「不思議100%」が詰まっている
 数学は苦手だったが子どもの頃にこんな不思議さを教えてくれる先生がいたら今の1000倍くらい数学が好きになっていただろう、我认为。

悬浮梦

《青柿子》水彩+丙烯

我做了一个有点奇怪的梦。在大山深处的某个地方。和我的家乡完全不一样、不知怎的,我有一种似曾相识的感觉、显然有一段时间、感觉就像我住在这里一样。因为我的一些亲戚住在那里。。这、一位看上去是亲戚、比我大两三岁的老太太就曾经吸取过这样的教训。、有一位老师住在这里。、不知为何,他带我去了那个人的家。。

我不在,所以我正要回家。、老师回来了。一看就觉得是个初中生或者高中生的女生。。计算上、尽管他已经80多岁了,但他没有任何皱纹。、打造如棉花糖般白皙光滑的肌肤、杏仁形的大眼睛。鼻子明显小了、有点像匹诺曹一样尖尖的。

正当我对他不正常的青春感到疑惑时,我被邀请进去。。入口处有一个小空间。、当你向上看时,你会看到一个洞,看起来就像你从圆锥体的底部向上看一样。。它不像圆顶天花板那么优雅。。那是什么样的洞?、我带着更奇怪的感觉走到客厅。。由于某种原因,我记忆中的物品被放在这里或那里。。我不记得我是否说过“嘿!”、当我走近并试图把它握在手里时,、我感觉我的身体不知何故漂浮起来。
即使我看我的脚,也看不到任何漂浮的东西。。但、又迈出一步、这次我感觉自己没有踩到地板了。。当我再看我的脚时,它们漂浮了大约10厘米!

还看二楼、于是我又回到了门厅。、进入圆锥形孔下方。然后,老师的身体就被吸进了那个洞里。。我和姑姑也跟着去。。
―(剪断)―“教授,你怎么这么年轻?”我像是松了一口气似的问道。。``这房子是一栋神秘的房子。、有些地方没有重力。。” “因为你的身体没有重力压力。、你的脸和身体都没有下垂。” “也许这就是原因,”他微笑着。。―(略)―
 

言霊(ことだま)

           「モデルスケッチ」  水彩

言霊(ことだま)というのはむかし文章を書く人たちの間で「一つ一つの語句文にも魂が宿り人に伝わるからけっしていい加減な言葉をつかうべきではない」という戒めとしてよく言われていたらしい

わたしはひねくれものだから絵画などの造形表現がそうであるように革新・破壊をもっとする方が良いなどとまるで今のトランプ氏のような考えで言霊なる単語自体を軽視していた

然而、最近、それはわたしの浅はかな理解だったのではないかと思うことが多くなったそれはむしろ「有言実行」に近い意味を持っているのではないか、这意味着。有言云々もまた少し解釈がずれるがそれ自体が逆説的な言い方であって「『実行(実現)したいならば』有言する意」でもあり得ると
 他人に対してだろうと自分に対してだろうと「言葉に出して言う(書く)」ことはその瞬間からそれは自分を離れて独立した一つの「新たな存在」となるその存在が自分を縛り同時に先へ進める推進力ともなるそんな意味を持っているのではないかということであるむろんもともとの意味は初めに述べた通りであろうが

言葉を慎めと言うだけでなく可能にしたいことを言葉にすべきだということそしてさらに言えば望まないことを言葉にしないということにもなるかもしれないいわゆる「忌み言葉」にはきっとそういう感覚が宿っているのだろう言霊のほうが自分より上位になって自分自身を変えかねないというある意味で怖い感覚でもある「良き言葉悪しき言葉も自分に還る」それが言霊の真意ではないかと