Важко підтримувати мотивацію

Вправи персонажів (акварель、F10)

Мотивація - це мотивація。Здається, що це нормально робити, коли ти мотивований、Я не можу уявити відчуття знущання, кажучи "продовжуючи"。Однак、Невеликі помилки продовжуються、Навколишнє середовище змінилося, і це стало важко зробити、Коли речі не йдуть гладко з усіляких причин、Включаючи мене теж、Багато людей тимчасово ослаблені。

Навіть якщо ви скажете, що не мотивовані、たいていはいろんな理由で望む結果が得られなくなる→達成感幸福感が得られない→続けることが苦痛、Ось що це означає。望む結果が得られるならたぶん悩んだりはしない

人間というのはよっぽど欲の深い動物で同じ(ような)結果が続くとそれ自体が不満の種になるから厄介だたとえば陸上競技などで毎回2位だとしよう異なる大会でも毎回2位というのはかなりの好成績しかも人間だから体調のいい時ばかりではないそれでも毎回2位というのはわたしなどは凄いと思うのだが1位が望みならばやはり不満だろうし「いつも2位」は慣れてしまって達成感には程遠いのかもしれない問題は周囲「残念あと一歩」とか「次は1位だね」などとの激励が逆効果で本人を達成感から引きずり下ろしてしまうそしてその残念感がいつしか本人のこころに棲みついてしまうそんな風に想像する

モチベーションを他人との比較でしか得られない人特に各種競技の選手などはそういう意味で過酷な環境にあると言えそうだこんなふうに言うと自分はすでに悟りの境地にいるかのように思われそうだがわたしもそこから脱することは全然できない。просто、最近は人との比較(はするが)より自分の人生の残り時間との中でモチベーションを考えるようになってきた山に喩えると頂上という具体的な結果よりもどの高さから風景を眺めたいかという一種の“自己満足派”に移りつつあるようだ自己満足とはいえそこへ行くにも小なりとも幾多のハードルがありそのいちいちを越えるごとにちょっとした喜びを味わうやっても無駄かなというとんでもない「虚無」が持ち上がってくるとやる気ガタ落ちになるがとりあえずそうやって“プチ”満足でやる気を維持しているようである

Спробуйте новий спосіб намалювати ще раз

Вправи персонажів (акварель、(Не завершено)

Я вперше малював персонажа、Зараз я намагався займатися використанням фотографій, але я цього не робив деякий час.、Кисть не рухається так, як я думав。Він відрізняється від яблук та горщиків.、Людські вирази мають різні кисть.、Здається, є підхід。Важко вміти намалювати що-небудь у всебічному призначенні。

Навіть якщо ви говорите "новий спосіб малювати"、По -своєму、Але。Сьогодні я трохи втомився、Це все。

Call it a day.(今日の分は終わり)

やっとアップロードできました

2ヶ月近く懸案だった「野外スケッチ動画」をやっと昨日(1月8日)アップロードできたお正月はお酒も呑まず(呑んだが)餅も食わず(雑煮も食べたが)の「気分で」これにかかりきりだった内容は実に平凡で取り立てて言うほどのことは何もないが途中で編集上のミスがいくつも重なったので(吞み過ぎるからだろ?)その修整過程が実は一番勉強になったのだった。Але、О, дорогий、ひとつ肩の荷を下ろした気分―まさに Call it a day だった

Але、アップした途端に現実に還った。10日からはもうYouTubeじゃないリアル「青いカモメの絵画教室」が始まる何か適切なモチーフはないか・・・「適切なモチーフ」はもちろん一人ひとり異なるに決まっているが物理的時期的に入手不可能なものもたくさんあるからとりあえず花や野菜果物など画材に使えそうなものを探し始めた

リンゴを描く人(たとえばわたしのような)が必ずしも目の前にリンゴを置いて描くとは限らないたとえばわたしの場合は実物のリンゴが目の前に在ると「邪魔」であるわたしにとってリンゴは重要なモチーフではあるが別にその物理的外観をなぞりたいわけではないわたしにとって「内的で」「リンゴの許容(包容)力(を意味するカタチ)」だけが必要なのであってそのあとは記号としての「リンゴというモノ」のままでいてくれる方が好ましいのである

写真的写実を発表している画家たちの多くも実はわたしと似たり寄ったりでその人にとってのいわば真実を描こうとしているので目の前の物理的(光学的)に見えるままを描こうとしているわけではないようだむしろそこからまったく離れているように見える中小の画家たちが「わたしの絵は写実です」ということが案外多いと聞けば一般の人は驚くかもしれない対象物と作者との関係は意外に面白いテーマで小説家などが良く取り上げるだけでなくピカソなど執拗なほど「画家とモデル」という関係性自体を描いている「具体的なモチーフ」=「描くべき対象」だと固まっている人ある意味ではモチーフが「反面的に」あなたを描いていることがあるかもしれませんよ
 自分とモチーフとの関係についてちょっと考えることがあっても楽しいかもね