Satu lagu untuk seratus orang

"Pir Barat" 2020、1 Cat air ・ f6

10Untuk hampir setahun yang lalu、Saya mulai haiku。Saya berharap ada sesuatu yang bisa saya sebut sebagai hobi、Karena saya berpikir begitu。Saya tidak perlu membayar modal、Satu -satunya hal yang dapat saya pikirkan adalah 7 karakter、Saya ingin tahu apakah saya bisa melakukannya untuk orang yang sangat konyol juga、Itu karena perasaan tidak murni (seperti banyak orang)。Untuk menghindari menyerah segera、(Terlalu kecil) Saya diberi bimbingan pada pertemuan haiku.。Ini pertemuan haiku sebulan sekali、Itu diperingati pada akhir tahun lalu, peringatan 100 tahun.。Awalnya saya ingin mencoba banyak hal、Untuk diri sendiri、Membuat banyak frasa yang cukup bias、Saya mendapat ketakutan para anggota。

Baru -baru ini saya merasa bahwa saya hampir tidak bisa mengatakan apa pun dengan 17 karakter。Masalah、Karena haiku tradisional, tambahkan kata -kata musiman。Ini biasanya melibatkan penggunaan lima karakter。Ada dua dua belas karakter tersisa、Ini mengkonsumsi sekitar lima karakter tergantung pada nama hal tertentu atau sedikit deskripsi.。Gunakan tujuh huruf yang tersisa untuk menyampaikan suasana hati dan niat Anda、Saya mulai merasa bahwa tidak mungkin saya bisa melakukan itu。Tentu saja sebuah mahakarya、Ada beberapa "puisi terkenal" yang terasa begitu dalam dan luas sehingga sulit untuk percaya bahwa mereka hanya 7 karakter.。tapi、Untuk orang biasa seperti saya、Apapun yang salah, sepertinya seseorang、Itu frasa yang serupa。

Jadi, jika itu adalah tanka 31 karakter、Saya juga tidak membutuhkan kata -kata musiman、Saya pikir saya bisa menggunakan semuanya untuk diri saya sendiri、Saya membaca buku Tanka modern dalam sekejap。Dan tentu saja jauh lebih menarik。Namun, saya menyadari bahwa ketika datang untuk membuatnya, lebih dari empat kali lebih sulit untuk menciptakan tujuh atau tiga puluh satu karakter.。Ini adalah beban berat baik pada waktu dan mental。Di sisi lain, haiku masih berlangsung.。Itu sebabnya、時々は短歌を作って前半の十七文字のところだけを俳句とすれば一石二鳥ではないかと考えたのだった

そんなにうまくいくわけはないと思ったがやはり予想通りであった短歌でも大事なところ言いたいところは後半なのだ。tapi、Saat itulah saya menyadari satu hal。Paruh pertama tanka、Itu bukan masalah besar、Itu disebut lanskap dan adegan、Bagian yang menjelaskan latar belakang, jadi untuk berbicara。Bukankah itu persis "Bunga, Burung, Angin dan Bulan"?。Jadi begitu、Haiku adalah pembuangan lengkap hal -hal penting、七文字じゃとても言い切れないからと読む人に思いっきり丸投げしてしまうブラック商法なのだなと-ここでやっと「百人一首」に繋がるのだが王朝時代のゆったりした叙景の「コツ」を覚えるには万葉から新古今集あたりまでの名作がたった百首に絞り込まれた「百人一首」が一番手っ取り早いのではないかというおよそ趣味的ではない発想で読んでみることにしたのだった。Namun,、どうもこれがいろいろと後を引きそうな気配濃厚である意味困っているところです

「偶然」の怖さ

「Green apple」 2020.1  F10 Oil on canvas

今や世界的なパソコンモバイルメーカーとなった米国の「Apple社」のロゴ「リンゴのかじり欠け」?が広まるずっと前今から40年くらい前から私は「かじり欠けリンゴ」の絵を時々だが描き続けている。Saat itu、現在の「Apple社」は「マッキントッシュ」という社名だったApple社になってそのロゴマークを初めて見たとき同じようなことを面白いと思う人がいるんだなと感じたそれはむしろ共感だったがあとでもしも私がそのロゴを盗用したと言われかねない事態に備え自分の方が先だという証拠だけは残しておこうと考えた

そんな状況など私とごく少数の人以外に誰も知るはずはないからこの絵を初めて見る人は「なんだAppleのロゴを絵にしただけじゃん」と思うだろう。Jadi、とりあえずここに書けば数人は事情通が増えるはずである少し違うが前後関係が無視されてしまう似たような体験がいくつかあるその一つが、1990年11月に始まった九州「雲仙・普賢岳」の噴火

1987私は「クラウド(雲)」というシリーズ名の作品を描き始めていた(「クラウド」というシリーズのネーミング自体今となってはそうした偶然の一例になった観)「朝日の出と共に登り日中には世界中に目まぐるしい変化を見せる雲疲れそう」その雲に、Setidaknya di malam hari, tidur nyenyak di ruang bawah tanah yang gelap、Awan naik ke langit lagi dengan energi saat matahari terbit. "、Ide saya untuk menghibur awan favorit saya。Akhirnya, 1990、"Awan merah cerah diisi dengan energi、"Awan bergegas ke ridgeline sekaligus" DMS、Dia mengadakan pameran tunggal besar di sebuah department store dengan citra banyak awan.。

Bukan saja itu pameran tunggal yang menarik bagi saya、Reputasinya juga tidak buruk。Dan segera setelah pameran tunggal, "letusan" Gunung Fugen di Unzen dimulai.。Letusan terjadi di semua stasiun TV、Setiap hari, itu mengalir dari pagi ke malam。Dan aliran piroklastik "tertinggi" itu。私の「元気に稜線を駆け下りる真っ赤な雲」のイメージは制作時期と火砕流との時系列など無関係にマスコミの「火砕流」に収斂されてしまった以後のは作品発表のたびに火砕流をモチーフにしていることにされてしまった個人とマス・メディアとの圧倒的な量の差を直接体感した最初の経験だったテレビの力は大きい。Atau sebaiknya、人々はまるでテレビが事(真)実でありテレビそのものを信仰しているかのように見えた

Satu lagi。2008年私は「天から豪瀑する傲慢な人間を戒める都市への懲罰的な大洪水」(聖書にあるノアの方舟が頭にあった)を、1000号を超える大作「叫ぶ男」(210 x 540 cm)で発表したその続編の「竜巻の男」続いて「人間をやめた」新しい生き物を「新生」として同サイズの大作をシリーズ化する構想を始めていたそして2011年1月再び「大洪水」を描き始めた描き込まれる人間の数も今回は300人を越えていた2ヶ月後の「2011、3、11」 東日本大震災岩壁を越え海が滝のように市内に向かって溢れかえる津波のTV映像を見ながら私は自分の絵が現実になったような錯覚を感じていたその年「大洪水」を描き続けることはできなかった

欠点

「Apple」  2019.12 F6  tempera

「欠点」ってなんだか恥ずかしく隠したいことのように思えます。tapi、どうやらそうでもないようなんです

皆さんはテストで「満点」をとったことがありますねニコニコしてうちに帰り親に見せましたね親もニコニコしておかずがちょっと増えたりしてそれできっと「次も満点をとりたい」と思いましたね

Namun,、決して勉強をサボったわけでもないのに次からはなかなか満点は取れなかったでしょう他の子だって満点をとって親のニコニコ顔を見たいしおかずも増やして欲しいと思っているからです先生だって毎回毎回全員が満点をとったら不安です「私のテストの作り方がおかしいのかしら」悩みすぎて自殺してしまわないためにはテストを難しくするしかありません(テストをしない方法もあるのですがこの国ではテストでできるだけ子どもを苦しませこんな苦しい思いをするくらいならもう勉強なんかやめて働くのがいいさと思わせて労働人口を確保しようという政策で学校を運営させているのです先生も公務員である以上逆らえば国に人質にとられている自分の子どもと一緒にホルムズ海峡へ送られてしまう危険性があるのです)(冗談ですよ、Untuk berjaga -jaga)。

そんなことは子どもでも知っていますからそこは阿吽(あうん)の呼吸で適当に平均点以下だったりあと少しで満点だったり操作をしましたね先生も自殺せずに済み「惜しかったね」「今度は頑張ったね」と気楽に褒めてくれたと思います子どもが本当は親や先生より賢いことは子どもなら誰だって知っています

「欠点」というのはそんなふうに周りを平和にするものなんです自分よりかけっこの遅い子がいる方がみんなは安心だったじゃありませんかそしてその子に優しくなり「一緒に練習してあげるよ」と言ったはずですかけっこで一番遅い子になるのが心配ですか?戦争中かけっこで一番になるような子は日の丸の旗1本持たされて遠いジャングルに送られそこで機関銃や飛行機に追われて走り回り、75年経ってもいまだに帰ってこないじゃありませんか

「欠点」があって初めて人は物が見えるようになります欠けているところから世界が広がるのです「満点」のような人間になってごらんなさい目が塞がっているのと同じです自分の影すら見えないから威張りくさり他人を馬鹿にするのが当たり前になってしまいます欠けた穴から自分の影をよく見時々その穴から世界へ出入りするのがいいのです