
今や世界的なパソコン、モバイルメーカーとなった米国の「Apple社」のロゴ、「リンゴのかじり欠け」?が広まるずっと前、今から40年くらい前から、私は「かじり欠けリンゴ」の絵を、時々だが描き続けている。Saat itu、現在の「Apple社」は「マッキントッシュ」という社名だった。Apple社になって、そのロゴマークを初めて見たとき、同じようなことを面白いと思う人がいるんだなと感じた。それはむしろ共感だったが、あとで、もしも私がそのロゴを盗用したと言われかねない事態に備え、自分の方が先だという証拠だけは残しておこうと考えた。
そんな状況など、私とごく少数の人以外に誰も知るはずはないから、この絵を初めて見る人は「なんだ、Appleのロゴを絵にしただけじゃん」と思うだろう。Jadi、とりあえずここに書けば、数人は事情通が増えるはずである。少し違うが、前後関係が無視されてしまう似たような体験がいくつかある。その一つが、1990年11月に始まった、九州、「雲仙・普賢岳」の噴火。
1987頃、私は「クラウド(雲)」というシリーズ名の作品を描き始めていた(「クラウド」というシリーズのネーミング自体、今となってはそうした偶然の一例になった観)。「朝、日の出と共に登り、日中には世界中に目まぐるしい変化を見せる雲。疲れそう」。その雲に、Setidaknya di malam hari, tidur nyenyak di ruang bawah tanah yang gelap、Awan naik ke langit lagi dengan energi saat matahari terbit. "、Ide saya untuk menghibur awan favorit saya。Akhirnya, 1990、"Awan merah cerah diisi dengan energi、"Awan bergegas ke ridgeline sekaligus" DMS、Dia mengadakan pameran tunggal besar di sebuah department store dengan citra banyak awan.。
Bukan saja itu pameran tunggal yang menarik bagi saya、Reputasinya juga tidak buruk。Dan segera setelah pameran tunggal, "letusan" Gunung Fugen di Unzen dimulai.。Letusan terjadi di semua stasiun TV、Setiap hari, itu mengalir dari pagi ke malam。Dan aliran piroklastik "tertinggi" itu。私の「元気に稜線を駆け下りる真っ赤な雲」のイメージは、制作時期と火砕流との時系列など無関係に、マスコミの「火砕流」に収斂されてしまった。以後のは作品発表のたびに、火砕流をモチーフにしていることにされてしまった。個人とマス・メディアとの圧倒的な量の差を、直接体感した最初の経験だった。テレビの力は大きい。Atau sebaiknya、人々はまるでテレビが事(真)実であり、テレビそのものを信仰しているかのように見えた。
Satu lagi。2008年私は「天から豪瀑する、傲慢な人間を戒める、都市への懲罰的な大洪水」(聖書にある、ノアの方舟が頭にあった)を、1000号を超える大作「叫ぶ男」(210 x 540 cm)で発表した。その続編の「竜巻の男」、続いて「人間をやめた」新しい生き物を「新生」として、同サイズの大作をシリーズ化する構想を始めていた。そして2011年1月、再び「大洪水」を描き始めた。描き込まれる人間の数も今回は300人を越えていた。2ヶ月後の「2011、3、11」 東日本大震災。岩壁を越え、海が滝のように市内に向かって溢れかえる津波のTV映像を見ながら、私は自分の絵が現実になったような錯覚を感じていた。その年「大洪水」を描き続けることはできなかった。