不設計

習作 24,Dec,’18

「コム・デ・ギャルソン」の創立者でデザイナーの川久保玲さんのごく最近の言葉「デザインしないことがデザインだと思った」

常に新しいものエキサイティングなファッション・デザインを追求してきた彼女の一つの到達点「そういう追求の仕方では(もう)新しいものは見つけられなかった心のなかに自然に湧き出てくるものそれを素直に出すことがデザインだと思った」僭越ながら私もこの言葉に深く共感する

「素肌に自然にフィットするかたちを作るそのかたちになるように鋏を入れるだけ」。「但、その鋏を入れる場所は究極の位置」川久保さんの言葉のままではないがそういう意味ファッション・デザインの分野だけでなくすべての「創作」に共通する深い意味が込められている「賽は投げられた」あとは受ける側の感性の深さ柔らかさにかかっている受け取る側に感性がなければ彼女は空中ブランコからコンクリートの地面に身投げしたと同然である支えてくれる柔らかい感性はあるのかしかし彼女はそれを意に介さないそれしかないとすでに手を離してしまった。就是這樣、創作の世界だと言うように

動物福利

「男」の習作

「Animal Welfare」って知ってる?「食べられる牛にも気分良く飼われる権利がある」ってこと。「但、結局人間に食べられることに変わりはないそこまでいうなら俺たちを食べなきゃいいじゃないか」というのが牛の気持だろうが人間の考えはなかなか複雑だ

「世界の人(と言ってもセレブに限るのだが)」は極めて幸福に暮らしていた牛(最も肉と油のバランスが良くなっている)が突然何故か原因不明の(苦しまない)死を遂げ(もちろん「屠殺」だがセレブはそのことは知らないことになっている)その牛(肉)に感謝と哀悼の意を捧げつつ恋人と二人で(なぜか最高の職人によって焼かれた)その肉を彼らの美しい唇と歯と舌に運ばざるを得ないという羨ましいような「宿命」があるらしい

もちろんジョークである基本は動物愛護の精神だそこから発展してたとえ食用を目的に養殖されている動物でもできるだけの尊厳と環境改善の努力を彼らのために為すべきだという考え方無論そのこと自体に反対する理由はない。但、「ストレスのない状態で飼われた牛鶏の肉はそうでないものより一層美味しい」と私の日本的な耳には聴こえてしまうAnimal Welfare という語自体建前といえば建前だがそのおおもとはキリスト教的世界観にあるのだろうと想像はつく

前回の「国際捕鯨委員会CWEからの日本の脱退」と繋がる話題日本(政府)はこの「Animal welfare」を私のような感覚で捉えているのではないかと想像する相手はキリスト教的「動物愛護」の国内世界世論に配慮しているのだと考えなければならない数値的な正確さを言い募れば募るほどお互いの距離は開いていく「モリを撃ち込まれたら痛くて苦しいだろう?その痛みが分からないのか?」と彼等は考えているのに鯨の頭数の回復だけを口を酸っぱくして言っても最初から平行線だということが解っていないのではないか。第一的、彼らの「Animal welfare」を謙虚に理解してみることが大切かと思う

「日本人」自以為是沒有好處

「梨」蛋彩+天鷹

日本擬退出國際捕鯨委員會(CWE)、我被這個消息震驚了(2018/12/20)。大多數人可能認為這沒關係,因為我不吃鯨魚肉。、這不是那個級別的問題。。

日本繼續以研究商業捕鯨資源為幌子研究捕鯨活動。。世人的目光都對「資源普查」本身表示懷疑。。因為、這是因為每次調查後,他都曾因向特定公司出售鯨魚肉而被定罪。。世界是、我懷疑這是一個隱藏的「銷售」活動。。事實上,鯨魚肉被分銷給一些公司。、這種懷疑是很自然的。。離開前等、首先,應加強澄清這項疑慮。。

吃過鯨魚的人、或仍然吃它的人。、整個日本可能還不到1%。。當我還是個孩子的時候,我親自在午餐盒裡吃過鯨魚培根當配菜。、我已經吃過大約100次了(不是禁止捕鯨的物種)、哈馬戈隆多或類似的東西、我想就是這樣的事情。然而,反捕鯨國家的人們將它們視為與海豚同等的水平。、皺眉)、我從來沒有覺得它特別好吃。。我不否認我的個人喜好,但是、這不應與「退出」國際鯨魚聯合會相混淆。。

日本聲稱有獨特的飲食文化,並且有充足的資源(根據日本自己的研究)。。但、那、如何說服根本不想吃鯨魚的人、需要很大的決心(努力)。您在說服海外人士方面做了多少努力?、包括方法論、極度懷疑。“一種主人翁意識”,“說什麼都沒用”。僅僅根據目前為止你做得很好的感覺來做出判斷是極其危險的。。

日本退出國聯後擁有全部權力、我相信我不是唯一記得松岡洋介離開國聯大會堂那一幕的人。。《由我道宗》在國際社會被“禁止”。“虛無就是損失”、日文裡也有這樣的好詞。。我們必須做好準備,國際文化理解將需要數百年的時間。。無論如何、日本是一個不與世界連結就無法生存的國家。。