
なんだかイラついている。何かハッキリした不満というより、あらゆることに清々しい明朗さがない、Štai kaip jaučiasi。今頃の天候などをさす俳句の季語に「晴明」というのがある。Tai tarsi lengvumo ir šviežumo derinys.、Aš nesakau, kad vis dėlto yra priešingai、Jaučiuosi kaip „Ne arba ne ne ne ne ne ne ne“。
Žodis „ačiū“、Staiga tai tapo blogu žodžiu。Žiemos olimpinės žaidynės、Parolimpinės žaidynės įvyko neseniai。昨日から春の選抜高校野球も始まった。ここでも「感謝」「感謝」の嵐。この言葉を口にしないとすかさずどこからかクレームがつく。曰く「あなたの今日あるのはあなた自身だけの力ではない。周囲の力添えがあってのこと。その感謝の気持を持たない人は大人ではない」。
Štai kodėl、実際に大人ではない小学生、はては幼稚園児まで「皆さんのお陰でーちゅ」と「練習」させられる。そのようなクレームからの過剰回避である。
ごく普通のことをしたのに、「思いがけなく」ありがとうと言われるときの「晴明さ」と、それは似て非なるものだ。「感謝」の言葉は求めるものではなく、自発的なものであるはずだ。それが単なる「形式」になり、形式でよいとするそのような神経のあり様が、どうやらイライラの中身のような気がしてきた。