
上の絵は 昨日の「シェルターの男」を少し進めたもの。テンペラ混合技法で制作中。絵を描くということについて、少なくとも現代においては精神性のみが重要視され、技法や画材などは重要なものとはほとんど見做されなくなっているようだ。
しかし実際には、絵を描こうと思い立って画材店を訪れた瞬間から、画材と技法は頭から離れなくなるに違いない。よく「絵なんて思った通りに描けばいいんだよ」「自由に伸び伸びかくこと」と言われる。私自身もおそらく数百回は口にしただろう。けれどそれができるのには、実はある条件を満たすことが必要なのである。
ある条件とは何か。一つは油絵の具に限ること。もう一つは画材に関する、特別に鋭い感性があること、だと思う。
油絵の具を選択すれば、ほぼ「思った通り」「自由に伸び伸び」は誰でも手に入れることが出来る。出来ないという人は「思った通り」が自分自身の中で曖昧なままなであることが原因。イメージをきちんと確認すれば、ほぼ誰でもその人なりの「思った通り」が実現されるはずだ。「自由に・・」は、・・ネバナラヌを振り捨てられるかどうかだ。いずれにしても本人が問題で、画材については万能だと言っていい。
nicméně、油絵の具以外ではたとえば最も使いなれているはずの鉛筆や水彩絵の具でさえ、思い通りに伸び伸び描ける人は稀だ。ましてや日本画やテンペラ、フレスコなどと言うに至っては、日常的な想像ではまるでついていけない。「特別な感性」のある人だけが、その基本的な性質だけを参考に、技法にまで想像力を届かせることが出来るだろう。
つまり、油絵以外はどれも技法的な制約をかなり強く受け、どうしても技術に固まって「自由に・・」とはなりにくいということだ。これはプロの作家でも変わらない。
けれど作品には精神性こそが大事で、技法など重要なことではない、というのはやはり正しいと私は思う。つまり、油絵以外の画材を「運命的に」選択したならば、その技法を徹底的にやりぬき、まるで無意識であるかのように扱えるようになる以外にない。絵画において最も重要なモノはイマジネーション。そこでは技法(への意識)など邪魔なのだ。
そのことを最近になって思い出した。そういえば今日も暑い日だった。室温36度。終戦記念日。甲子園の高校野球は青森の光星学院がかろうじてベスト8に進み、奈良智弁学園が9回のツーアウトから対横浜高校1-4を9-4にひっくり返した。世の中は予想外、想定外があることの方が普通なのだということも。 2011/8/15