

数日、柿を描き続けている。柿は描きやすい。かたちが単純だから。柿マニアの人たち(いや、そう言っちゃいけないな。「柿をこよなく愛する人たち」)よ、けっして柿を “単純” に貶めているわけじゃないんです。
柿(の実)はつるんとしていて、ヘタの部分だって、たとえばポンポンダリアのように(描けそうにない!)幾何学的な配列ではないという、自然な意味での「単純」です。わたしの「(トロッ)柿への愛」は前回書いた通り、揺るぎません!
妻がスーバーで「筆柿」を買ってきた(写真)。わたしのイメージにある「筆柿」より、数倍立派。これは初めて見たかも、です。渋柿らしいけれど、上手に渋が抜けていて(わたしの愛する「トロッ」柿には及ばないが)美味しかった。
わたしの記憶の中の「筆柿」は、筆より小さい?「土筆(つくし)」だったのだろうか?ローソクの焔を逆さにしたような感じで、もう少し小さく、(ごめんなさいね)貧相な顔立ちだったような気がしてきた。
妻が摘まみ上げたこの「筆柿」を見た瞬間、わたしはルーブル美術館だったかどこかで見た、磔刑のキリスト像の顔を思い出した。柿の実の上部の「変な出っ張り」と下膨れの顔が、哀れにもオリーブの冠を被らされたキリストの輪郭とが一致したかのようだった。(後で思い出したが、そのキリストの顔をスケッチした記憶がある)