
5月の梅雨入りは案外珍しいのだそうだ。大抵は6月8日前後というから、1週間は早いということか。Men、ここ数年の記憶では、「・・・日にさかのぼって梅雨入りと宣言しました」という発表が多く、「さかのぼってって言われてもなあ」、という思いがある。
今年は桜を見なかった(灯りのない夜桜を一瞬だけ見た)。見る気にもならなかった。弘前(青森県)在住の版画家から「今年の桜は見る人が少なく、寂しかった」とお便りを頂いて、Kom att tänka på det, körsbärsblommorna i Hirosaki、Jag har inte sett det på 40 år、Jag trodde det。Även när jag såg min favorit White Magnolia slutade det innan jag såg det.。Där i maj、Typhoon nr 2, den maximala kraften på 925HPA, har anlänt。
Jag älskade vinden som barn。Strömavbrott、Ljusljus tyfonkväll、外でごうごうと鳴る風の音がなぜか体に沁み込むように私をわくわくさせた。今も強風に木が揺れる様を見ると、その風を浴びに外へ飛び出したい衝動に駆られる。髪を揺さぶり、口や鼻に強引に入り込む風。目を細め、バタバタと音立てながら前のめりに風にぶち当たる喜びがあった。
埼玉は日本でも最も自然災害の少ないところだと、今度の震災でつくづく有難く感じた。最近は台風もめったに来ない。来ても殆どヨレヨレで、台風という名がかわいそうなやつばかり。不謹慎だが、沖縄や枕崎あたりの凛とした台風状況をテレビで見ると、思わず「台風頑張れ、ここまで元気で来い!」などと応援してしまう。
自然は友。一言でいえばそういうことか。震災は厳しすぎるが、大きな目で見れば、それが私達を育ててきたのかもしれない。幼い胸に響いた風の音は、体に宿る自然が外の自然と呼応する野性の共鳴だったのだな、と今になって解ってきた。 2011/5/30