原子力規制委員会判断とは別に考える

柏崎刈羽原子力発電所の再稼動に規制委員会が事実上のOKを出した新潟県知事の米山氏は規制委員会の結論とは別に県は独自に検証するとコメントした

「私たちの安全をきちんと考えて欲しい」と規制委員会に丸投げ完全依存する考え方が多い中でこの考え方は重要だ

「安全・安心」がよくセットで語られるしかし安全と安心は全く次元の違うものだ「安全」には基準がありその基準をクリアすれば「その基準に従う限り安全と言える」という技術的な意味だし「安心」は個々人の心の問題になる業界政界でこの意味の違いを知らずに使っている人などいないわざと混同するように仕向けているのではないかとさえ思われる

よく読むと規制委員会は「安全だ」などとは一言も言っていない(規制委員会自身が作った)基準に合格したと言っているだけであるその基準自体自分たちが納得できるものなのかどうか納得できたとしてもそれを安全安心と判断するかどうかはそこに住む人々の判断である知事が規制委員会とは別に検証すると述べたのはそういう意味で正しい

bet、きっと「国の『権威』がOKしたのになぜ直ぐに再稼動させないのか!」と経済界を中心に喚き立てる輩がわんさと出てくるに違いないその人たちはそこに住む人々を犠牲にしてでも金さえ稼げればいいと思っている人たちだ福島の事故検証さえまともにできていない現状を踏まえ委員会判断に丸投げせず自分たちの安心は自分たちで判断するという知事の態度を(そういう圧力に負けず)貫いて欲しいものだ。ir、態度だけでなくきちんとした検証ができるだけの人材をあつめ謙虚に誠実に公表し最終判断を県民自身にしてもらうことを望んでいる

発表能力について

日本アメリカフランスの子どもの思考法とそれをかたちづくる国語教育に関する専門家の面白い小論を読んだ国際的な学力テストで特に自分の考えを述べる記述的な分野で日本の子どもたちの順位が落ちている原因かなと興味を持って読んだ

それによると、dieną、仏の小学校での国語教育の目標と方法論に大きな違いがあるというそしてその思考法が大学にまで繋がり少なくとも国際的な発表とかその評価において大きなハンディとなっているというのである

例えば私たちは①自分用の日記の書き方②親しい人への手紙の書き方③公的な手紙の書き方④エッセイ⑤課題レポート⑥発表文⑦記録文⑧詩⑨小説⑩論文…などと形式を書き分けられるだろうか?「見たこと感じたことを『正直に』書く」しか教わってこなかったのではないだろうか?アメリカでは小学校低学年でも14もの文章形式(中高では18)をそれぞれ「訓練」するというフランスでは語彙動詞の活用など文法の理解を徹底するというそれが彼らの常識らしい

能力的な問題ではなく方法論の問題だ「自在に文章を操り自分の主張をきちんと相手に伝える」には実際にはどうすればいいのか日本では子どものときこそ自由に欧米では幼少時こそ基礎を最優先という方法論の違いは国語教育に留まらず大人になってからの思考法にまで繋がっていると読めた

これは暴挙ではなく愚挙

Taip pat、政治ネタを書いてしまう自分でも嫌なことだが

前原民進党代表が小池氏に党を丸投げしたこんな無責任な党首はこれまで見たことないそれを参議院も含め全体として了承したというのも信じ難い全国の党員支持者を無視した暴挙愚挙だ

ある議員は「支持者がこれを理解できるかだ」と言ったが理解できるのは政治的「曲解脳」を持った動物だけだ前原氏は「勝つためには何でもする」といったがそうではなくこれは民進党の完全降伏だろう

「希望の党」中に入りいずれ中から食い破って民進党になるという見方もあるだろうが前原氏自身もともと自民党よりの思想の持ち主だからそれはないだろうし安保法制改憲戦争化を小池氏が踏み絵にするというのだから民進党議員と言ってもかなり右に近い人しか行かないはず(普通の知性の持ち主なら)獅子身中の虫になど考えるわけがない

彼を党首にした時点で危ないとは思ったがこれは支持者だけでなく日本の民主主義自体を愚弄した挙句の虐殺行為というしかない

新自民党を小池氏と作るという極めて確信的な裏切り行為に民進党を組織資金ごと強引に引き込むというのが彼の本心だったのだろう既に離党した細野氏に「いずれまた一緒にやろう」と発言したのはこのことだったのだ