「再現性」に対する人間の欲求はとてつもなく強い。学者の意見を聞くまでもなくビデオだの音楽におけるレコードだのを考えるだけで簡単に想像がつく。再現性に対して「即興的・抽象的イメージ」があるが、「論理性」に目を向けると、「再現性」に関する、人間の執拗なまでの努力の歴史が浮かび上がってくる。これを単に「つまらない・面白くない」というだけでは皮相に過ぎるだろう。好き嫌いを越えて、もう一度向き合いなおす機会でもある、Eu penso que sim。
No entanto、たぶんCGで描く意味はそういう次元にとどまらない。描いている自分自身でさえ気づかないところに、より大きな意味があるだろうと感じるが、それが何かは今のところ自分でも判らない。1年前はCGで描くのが面倒で億劫。スケッチブックに描く方が(慣れているぶん)何倍も効率が良かった。Mas、今は完全にiPadがスケッチブック代わり。iPadに限らないが油絵や水彩同様、CGであろうと描き方、塗り方の順序を変えると難しくなったり、簡単になったりするから、時々実際に自分の「手」で描いているような錯覚に陥る。それが生きている感覚に与える影響は些細に見えて、たぶん「小さくない」。
「CGの方が良い」と受け取ってはいけない。実作の大きな利点は「失敗する」こと。CGでの失敗は、数秒でリカバリーできる。No entanto、実作ではそうはいかない。失敗することで、脳だけでなく全身が活性化する。そこが「魅力」だと解るようになったのはCGスケッチの効果だ、Eu penso。人が「失敗から学ぶ動物」ならば、「失敗しないCG」はわたしたちを退化させる“絶好の道具”になるかも知れないですね(CGそのものはまったく否定していませんよ。Apenas no caso de)。