「相対的」という意味は、「二つをくっつければ判る」ということです。離れていたり、あいだに別の色がはいったりすると「相対的」の意味が失われてしまいます。A、B、C、Dの4つが隙間なくくっつけば、1~4番までの序列をつけることができます。その差も解ります。「くっつける」ことが大切なのです。 men、現実の絵画では、離れた位置での比較をする必要が頻繁に出てきます。ta ett foto、それをパソコン上で比較するだけなら、まだしも簡単ですが、現実の制作中ではそうもいきません。それぞれのパーツが周囲との「相対的な」差別化」を生みだしてしまっているからです。Det är det、そのことを理解している人でも「 99.9%」 の人はそれを「無視」します。“面倒くさい”からです(わたし自身も数年前までそうでしたが)。Men、それはそれは自分の絵が“絵画”であることを否定しかねません(理由の詳細は省略します)。
nyligen、YouTubeをやって気づいたことはたくさんあるのですが、そのひとつが今述べたことです。YouTubeへのアップに力を入れ始めて半年、視聴者はずっと増え続けましたが、ここ1~2ヶ月はどんどん減っています。決して手抜きではないし、内容が悪いわけでもない。I så fall、どういうことなのか?送られてくるデータをもとに考えてみました。 ひとつの仮説―内容が難し(高度)過ぎる。 ビデオを企画するとき、頭の中に教室の人たちのことを思い浮かべます。そして彼(女)らが次のステップに進む助けになるように作ろうと考えます。å andra sidan、YouTubeは基本的に上昇より間口の広いことがプラスに働くようにプログラムされています。日本人の多くの人は自分の実力を過小評価しがちです。中級どころか、上級者でさえ「自分はまだ初心者」と考えているのです。もちろん謙遜もあるでしょうが、少し自己肯定感のバランスが行き過ぎではないでしょうか。I alla fall、Det är därför、初心者以上のレベルを想定すると、間口がぎゅっと縮まってしまうのではないか。そんなふうに感じています。視聴者が増えていた時は、わたしもYouTube初心者だった(それは今もですが)ので、「初心者」とある意味で波長が合っていたのでしょう。