arittar sitár

「夕焼け」のための習作

昨日ガソリンスタンドで車に給油プリペイドカードで支払った店員がこちらに領収書を見せながら「あと○○円残っています」と言っている(らしい)が全然聞き取れない

想像するに○○ℓ入りましたリッター〇円引きなので○○円になりますカードにはあと○○円残っていますと言っている金額だけは辛うじて聞き取れたような気がする(領収書を見ているから)

店員は若い童顔の(20代?)日本人(の男の子?)最後にきっちり営業用のスマイルで「アリッターシタ―」「ありがとうございました」と言ってる気がするらしいプリペイドカードは「プリカ」トレーディングカードは「トレカ」クレジットカードは「クレカ」やスマートフォンの「スマホ」は日本人にはもう日常語化しているが日本観光中の多くの外国人にはまだ解からないと思う「めっちゃ」「ヤバい」は観光で来る外国人にはむしろこちらが普通の日本語だと思われているようだ

現代日本語は日本人であるわたしにも「ムズイ(難しい)」これを漢字で書くと若い人は「ナンシー?」と訊く教育漢字というものはすでに廃止になっているのだろうか薔薇林檎躑躅など「日本人なのになんで漢字(中国語の意味?)で書くの?」ひらがなもしくはカタカナで書けってことかところで皆さんさっきの3つの漢字読めるでしょうか?確かにもうバラリンゴツツジとしか書かれていないことも多いもんね外国人もひらがなカタカナなら読めるらしいから

Sazae

土曜日は埼玉県展の授賞式があったわたしも会場の「枯れ木」となるべく出かけた終わった後会場近くで開かれていた展覧会を一つ見てそのまま大勢で居酒屋へそんなわけで、15日のブログはアップしなかった

昨日は朝から腰が痛く日曜日だからゴロゴロしていても良かったのだが晴れた日に家にいると雑用というものが雨の替わりに降ってくると相場が決っている

一仕事のあとはさらに腰が痛むので夕方から芋虫のようにモニョモニョしながら来月用の俳句を捏造したりウトウトしたりと隠居ジジイの日曜日らしく過ごしていたら「さざえを買ってきたから作っておいて」と置きっぱなしで妻はスタスタ夕方の散歩へ活サザエとは書いてあったが「極小?」サイズ小さ過ぎる貝に小指が痛いやっとこさこじ入れて刺身を作ったらなにか飲まなくては…と(鬼の居ぬ間に命の洗濯とばかりに)腰の痛みも忘れてビュビューンと自転車で美味しい水を買いに行った

サザエに限らず何種類かの貝にはそれぞれ開け方のコツがある貝というのは肉が貝殻にぴったりくっついているのではなく基本的に貝殻の中で「浮かんでいる」どこか一点で貝殻と命綱のように繋がっているだけだからそこを切れば肉は内臓ごとするするっと外に飛び出してくるそれを知らないときれいな刺身はともかくレバーを食べたい人は諦めるしかない久しぶりだからその場所を忘れかけていた
 見た目通りもう23年海で育てたい味だった                       

práce levé ruky (paže).

数か月前から時どき左手というより左腕特にひじの少し上が痛むことがあった発端は庭木の枝切とか庭の中での移動のような作業だったと思うがいったん収まってからまた傷むようになってきたから根本原因はそれではなく単純に筋肉が弱ってきたからかも知れないものを持ち上げないときは忘れているから

左手(左腕)も案外使っているものだとこういう時だけ実感する小さい頃はたぶん左右どちらも同じように使えていたと思うのは何度も「お箸は右手」と叱られた記憶があるから現代の家庭ではどちらでも構わないようでわたしの場合もそのままどっちも使えるようにしてくれていたら今ごろ便利だったろうと思う

パリ・オリンピックパラリンピックが近いたくさんの種目の中に腕や手のない選手が陸上競技それも100mとか200mとかのトラック種目がある一見「脚」で走るのだからたとえばどちらかの手首から下が無くたって走るのにそう影響は無いだろうと思う人もいそうである
 でもどちらか片方の手ポケットに入れて走ってみるととても全速力でなど走れない人間だけでなく多くの動物も案外ギリギリのバランスで動き生きてるんだと思う

両手を使えることは素晴らしいこと右利きのばあいつい左手は「副」とか「添え」扱いのような意識になりがちだが左手を右手のように自在に使える人を見ると全然別レベルの「超能力」的なことができることに驚くいろんな技能脳力の(自己)開発が言われるが単純に左手開発だけでも十二分に凄いことになると思う