
どうしよう、もう八月だ。先月も同じことを言った「どうしよう、今年ももう半年過ぎた」。どうしよう、もうこんな時刻・・・。毎年、毎月、毎日同じことをくり返す。進歩のないやっちゃ。
今月は一年の三分の二に当たる大事な月、しかも初日。なのに買い物とかなんとか(雑用ではないが)「家事」も忙しい。描こうとして買った桃を、冷蔵庫から出してきたのがもう夜の10時。この時刻から桃を描く。描かないと、今日が終われない。
どうしよう、もう八月だ。先月も同じことを言った「どうしよう、今年ももう半年過ぎた」。どうしよう、もうこんな時刻・・・。毎年、毎月、毎日同じことをくり返す。進歩のないやっちゃ。
今月は一年の三分の二に当たる大事な月、しかも初日。なのに買い物とかなんとか(雑用ではないが)「家事」も忙しい。描こうとして買った桃を、冷蔵庫から出してきたのがもう夜の10時。この時刻から桃を描く。描かないと、今日が終われない。
ウーバーイーツという宅配便があることは知っていた。No entanto、利用したことはなく、イーツという名前から、ほぼ食べ物、ピザの配達と似たようなものかなと思っていた。
No entanto、どうもそれはいわば「便利屋さん」と宅配便がくっついたようなものらしい。例えば宅配のピザ屋さんにピザをを頼めば直接持ってきてくれるが、ウーバーイーツに頼めばそのピザ屋さんに行って、そこから持ってきてくれるというものらしい。コンビニから何かを買ってきてくれと頼めば(手配は自分でするのが基本らしいが)、コンピニに寄って買ってきてくれるというわけだ。
なんとなく落語にも似たような噺があるから、江戸時代には既に同じようなことを考えた人はいたことになる。それの現代版というところだろうか。もしかすると、わたしのような人は江戸時代においてさえすでに時代遅れだったのかもしれない。
お年寄りには縁が無さそうだと思ったら、逆によく利用されているのだという。確かに移動手段の限られた高齢者では、日々の買い物さえひと仕事である。特にこの夏場などでは飲料水の補充は不可欠だが、食品類の中では水が一番の重量物だ。それを一箱(12リットル≒12kg)買って運んできてもらうのに利用しているというのである。お年寄りは賢い!現代のツールをちゃんと利用できているじゃないか!
パリ・オリンピックが始まった。スケートボードやバイクの得点ルールをやっと知ったが、要は興味がなかったということ。好奇心が欠けたところに無知がはびこる。「取り残され感」が募るばかり。
一昨日の「分かったような気になる」の続き、かな。「過信」というより「思いこみ」に近いかもしれないが、まあそんなところ。
身体が傾く。脚で踏ん張る。止まると思った瞬間になぜか支えきれずに投げ出されてしまう。とっさに手をつく。これで止まると思ったまま、地面に顔をぶつけてしまう。だいぶ前のことだが、自転車で車をよけた際の出来事。要するに、筋力低下の話だが、自分の頭の中では(だいぶ昔の)体力に自信があり、それが過信になっていることに気づかない、というどこにでもあるようなエピソード。
Mas、残念な話ばかりではない。今だって、これまで出来なかったことが出来るようになることもある。何十年も描いてきた絵の中でもそう。気がつかずに過ごしてきたことに、今になって気づき、練習してできるようになる、という経験を最近でもする。パソコンも日々アップグレードされ、それについていくこと自体に不信感を持ち始めたのに、やってみたら自信回復ということもないわけではない。
これは「気持の問題」ではない。気持だけでは「過信」になりやすい。実際に出来て「自信」にすること以外にない。若い人が100やれば、自分にできることは10以下かも知れないが、それはやむを得ない。過信禁物である。大けがをする。