母の名前

「飛ぶ男」(制作中)

「〇〇の家の人」という言い方がある下北ではイエではなくエとなる

〇〇には屋号が入ることもあるし世帯主(昔なら家長か)やその妻の名前のこともあり子どもどうしなら多くは子どもの名前になる「タロウちゃんち」的言い方は下北でも同じ。然而、それが時々年代を越えても使われてしまうのがちょっと変わっているマユミエ=マユミさんちはよく知っていたが「真由美」さんが誰なのか当時も分からなかったがそのときから50年以上経った今でもそう呼ばれているのは驚きである。几乎、屋号化してしまっている

家を人の名前で呼ぶのは同姓の家が多いから私の生まれた集落(150世帯ほど)ではほぼ半分ずつが相内(あいない)と坂本隣の集落(400世帯ほど)では伊勢田が4割東田が3割くらいこうなると苗字では区別できないから人の名前で呼ぶ必要が生まれる

多吉の家ならタキチノイエ→タギジェという風に音便方言化母の父は相内長五郎だから一家はチョウゴロウノイエ→チョゴロイエ→チョゴレと呼ばれていた母は「チョゴレの長女」と呼ばれ家族以外の誰も本名など呼ばないチョゴレは地元ではダントツの漁師で母はチョゴレの一員であることに大きな誇りを持っていた

家族親類をマキというが性格や趣味など似た者もマキといい私は直接チョゴレではなかったがどこか漁師の気風があると思われたらしく「チョゴレのマキ」であり母も少しはそれを喜んでいた風であった

下北行き

「飛ぶ男」習作

8/8 前往下北/东通村。昨天(8/5)、据说东通村的最高气温为18°(不过前几天明显上升到29°)。。即使在同一个下北、始终比陆奥市低2-3度。每天36°、37如果从关东地区出发°、它可能比“冷”更甚于“酷”。、一定。

这个温度、关于往年。这就是山濑没有阳光的日子里发生的事情。。夏天,由于山的原因,雾气特别浓。、每隔几年,就会有极少的日照时间。、受到寒冷伤害。1988当年8月份、1每月只有 4 分钟的日照 。浓雾、我记得即使在白天开车也开着车头灯。。北海道、气候与襟裳岬、钏路相似。臭甘蓝在海平面上成簇生长。、他们也有很多共同的湿地。。

探望母亲并庆祝盂兰盆节。通常今年我都会在凉爽的天气里投入生产。、というところだがどうも今年はそうもいかないようだ行くのも正直少し気が重い台風にぶつからないといいけど