

1個だけ腐らずに残った花梨(かりん)を、絵のモチーフに使いまわしている。今回はスケッチ的な描写から、背景を簡単に作る方法をデモ制作してみた。
昔、テンペラでよくこの技法を使った。とてもお手軽で、便利な方法(安易過ぎる感じがして気が引ける)。下地との食いつき具合と、削り出し(今回は使わない)の時の、絵の具の硬化のさせ方に工夫を凝らしたことを思い出した。
水彩とアクリル系絵の具との併用ですが、油彩との併用もいたって簡単。特別な技術などほとんど必要なく、使うのは自分の感覚だけ。お試しあれ。


1個だけ腐らずに残った花梨(かりん)を、絵のモチーフに使いまわしている。今回はスケッチ的な描写から、背景を簡単に作る方法をデモ制作してみた。
昔、テンペラでよくこの技法を使った。とてもお手軽で、便利な方法(安易過ぎる感じがして気が引ける)。下地との食いつき具合と、削り出し(今回は使わない)の時の、絵の具の硬化のさせ方に工夫を凝らしたことを思い出した。
水彩とアクリル系絵の具との併用ですが、油彩との併用もいたって簡単。特別な技術などほとんど必要なく、使うのは自分の感覚だけ。お試しあれ。

ありふれた風景だが、10年後も「ありふれて」いるかどうかはわからない。住まいの形態は時代とともに変わるだけでなく、戦争などで一気に変わることも、わたしたちはいま目の前にしている。
平日の午後、平和な団地。Mas、ひっそりとして人影はほとんどない。時どき車が通り、ときどき自転車に乗った高齢者がよろめきながら過ぎ去り、カートにつかまった買い物帰りとみられる老女が、ゆっくりアパートの入り口に向かっていく。
関東の冬は陽ざしがある。緑の木の葉がきらきらと輝いている。暖かい室内から外を見ているとまるで春のようだ。No entanto、子どもの声は聞こえない。人々の話し声も聞こえない。平和な、ありふれた風景。

Estou em casa、iPad でブログを書くのに、苦労している。何を書くか、どころではない。同じ iPad 上にある、この画像を載せるやり方さえ忘れている。忘れるのが都合のいいのは政治家くらいのもので、大抵の人は困ることになる。操作方法ではなく、考え方自体が分からなくなるのだー。それでも何とかここまで辿りつけたのは、それなりに”勘”が働くようになってきた、ということだろうか。ちょっとだけ、リテラシーができてきたのかな?
新作を幾つか構想中。recentemente、全然制作していないので、こっちの勘はすっかり錆びついてしまった。em segundos pensamentos、制作も毎日続けないと効率も悪いし、アイデアも浮かばなくなるし、技術力も落ちる一方。あらゆることが、全てそうだ。No entanto、毎日すべてのことをやるなど、不可能な事も事実。
Bem então、どうするの?というところで振り出しに戻る。Bem、この絵はこれからどうなるのか、今のところはわたしにも分からない。