Apple

"Jablko" 2019 F8 olej na plátně

Poslední dva měsíce、Kreslil jsem tento obrázek。Nápady se stále více objevují、Bude to chvíli pokračovat。Další název je „Seed“.、Pokračuje v nakreslení svalnatého muže uvězněného uvnitř semene。Je to téměř podobný obrázek、Z nějakého důvodu tento nechodí dobře。

Vypadá to jako moderní obrázek、Metoda kreslení je úmyslně přijata klasickým malbou.。Jinými slovy、Grisaille (kresba pouze pomocí černobílých tónů)、Jedná se o metodu malby, ve které je tenká vrstva průhledných barev vrstvena bílou střídavě pro prohloubení barev.。Ať už je to moderní nebo klasický obraz、Myslím, že tato metoda je nejlepším způsobem, jak vyjádřit hluboké a bohaté barvy.。

Mám vlastní představivost malby。Mít takový druh věci sám、Kromě kritiky, že by to omezilo、Mnoho malířů každý den tvrdě pracuje na realizaci svých vlastních ideálů.、To si myslím。To je dobré。Ale、Moje představivost je、Obsahuje v sobě rozdělující rozpor、To mě trápí posledních 20 let。

Prozatím、Neexistuje způsob, jak integrovat rozpory、Produkci lze provést pouze „rozhodnutím, že nevidíme ani“ v rozporu.。Zaměřit se na dosažení obou、Chvíli jsem zažil těžkou depresi。Velmi nedávno、To není rozpor、Neměli bychom uvažovat o dvou zcela odlišných „ideálech“?、Také to zvažte。Je to něco jako severní a jižní póly?。Pokud ano、Nemá smysl jej integrovat.。

Hide and Seek

今の子どもたちは鬼ごっこやかくれんぼなどするのだろうか特に調べてもみないがそういう子どもどうしの関係も安全で未知の場所(大人からみれば多愛ないが子どもにとっては十分ミステリアスな)もなくなってしまったのではないかと勝手な想像をする

私の子ども時代は毎日そうした遊びで毎日が暮れた子どもも多かったし空き地は有り余っていたし安全で未知の隠れ場所など無数というに近かった草むらに隠れてみたはいいが周りをよくみたらそこら中に蝶のサナギがあって驚いたことや弟が隠れた場所で眠ってしまいいつまでも出てこずに大騒ぎしたことも思い出した

かくれんぼではないが私を探すための捜索隊を出されたことが二度ある一度はたぶん中学生2年生の冬ウサギわなを仕掛けながらつい遠くの牧場のある山まで行ってしまった時のこと見晴らしのいい頂上近くに立つと遠くに雪雲が発達しながらこちらに近づいてくるのが見えた腕時計など持っていなかったがすでに午後3時は過ぎていたと思う

「吹雪になる」と直感した私はすぐスキーで斜面を滑り下り一目散に帰り道をとった遠くまで来過ぎたことを一瞬後悔したがグズグズしている時間はない

家からそこまでは夏場でも普通に歩いて3時間以上かかる下りでスキーを履いているとはいえ雪雲に追いつかれるのはすぐだった半分もいかないうちに雪が降り出しそのせいでいっそう暗くなり始めた次第に吹雪になりそのうち自分がどこをどう歩いているのか分からなくなってきた

辺りが一層暗くなり吹雪も強くなり始め私はかなり焦っていた吹雪の息が切れた一瞬遠くに水銀灯の光がチラッと見えた(ような気がした)家への確かな道を辿り始めてから心配した両親が依頼した捜索隊のライトと出会った彼らに叱られながら午後8時頃帰宅吹雪は止みかけていたが集落からポツンと離れた我が家の辺りはもう真夜中のようだった父は「早く飯を食え」とだけ言ったゴーグルや毛糸のヘッド・キャップを途中で失くしたことに初めて気がついた

Oblíbený severní vítr

今日(10月5日)も暑い。10月というのに埼玉31°〜32°Cの予報が出ている「季節外れの」との形容詞つきだが昨日もその前も連日30℃近かったのだからもう「季節外れ」などではなくなっているけれど今朝になって風が昨日までの南風から北風に代わり日差しの強さの中にも爽やかさが混じってきたやっと秋が近くなってきたのかと嬉しい

埼玉でも近年では夏と秋しかなくなってきた(と私には感じられる)私にとって冬のイメージには雪や氷が不可欠だから埼玉の冬は晩秋のイメージを越えない気温もそんな感じだから雪国用の暖かい衣類はどれも出番なく数年前に全て処分してしまった

ネコ好き犬好きが分かれるように夏好き冬好きも分かれるらしいがデータ的には日本人の大方は夏が好きらしい「明るい」「眩しい」「暖かい」「熱い」人・心などがプラスイメージで捉えられるし「冷たい」系関連語の多くはその逆の意味を持たされているところからも多分そうだと思うもちろん程度の問題で猫好きだからといって犬を虐待するわけではないのと同じこと

私は夏より冬が好きだ特に雪が降り始めるとワクワクしてじっとしていられないその点ではきっと猫よりは犬に近い気分現実には仕事ができず困ったりするのだが好き嫌いは別問題肌で感じる引き締まった空気感が好きだしモノクロに静まった風景は本当に美しいと感じる。ale、それは本当は冬好きというよりは北風好きというべきなのかもしれない決して冬の「厳しさ」が好きなわけではなくほどほど外で遊べる程度の寒さが好きなだけだから