足球、美国女队的世界杯冠军

美国队赢得了足球女足世界杯。这似乎已经几乎提前预期的。

结果也取得了巨大的、我印象深刻的进一步、是“实力是坚持他的意图”即拒绝“白宫的邀请”,从特朗普总统。这是有意针对这种歧视性的言论迄今总统。正是显示了女队的意图、当事情在美国冠军加一个真正的花、我心想。

假如日本队赢得、将Kotowareru总理到总理办公室的邀请。球员或许更个人意志、协会共同主办,以美国公司、组织、考虑到个人、担心从媒体抨击,但优先、个别球员和语音将被收回我想象。如果我是团队中的一员、我认为这很可能会遵循它也是我。

此外官僚主义、一些学者、同时大众媒体社会、每个人都迎合权力、日本没有其他想法猜想。即使是赢了还是输、在日本,这是岩佐感激的话中期力、在电源运动员(政治)空间是可显示小意向。美国女队的这种表示、对于授予作为人类,它是常态,但在体育世界、目前在美国是一个很自然的、而世界上是日本的看法尚未、我认为这是在比赛结果的双重含义辉煌的胜利。

誰にもあって一つも同じでない

不思議なことに母の死は「死」ではなく単に苦しみのない安らぎであり体は「死体」ではなく物でも偶像でもないある意味で中途半端な「何か」だと私は感じていた

死亡診断書を貰い真夜中の病院から母を乗せた車で自宅に向かう間私は(きっと興奮していたせいもあると思うが)特に悲しいとは思わなかった。相当、吸入マスクチューブや各種の点滴医師・看護師などの「介在者(物)」なしのやっとストレートな「肉親」に戻れたような気分で毛布にくるまれた母に話しかけた「家に帰るよ」

「おっぱい」と血は基本的に同じものだ女性なら誰でも知っている医学的事実が男性には案外知られていない。但、それは感覚として哺乳類全てに共通知覚されていると私は感じる私たち(野生動物も含め)はみなそれぞれの「母の血」を吸って育ってきたのだ

火葬の直前まで母の頬を何十回も触った冷たいというより気持ちがいい(葬祭業者の「冷却器」のお陰ですが)そして骨を拾った束の間の擬似的な介護の真似ごと私が吸ったはずの母の萎びた乳首見られることを最初は嫌がった便の始末私の幼少年時代の全てを見てくれたいくつかの骨を持ち帰った

絵の価値絵を描く価値

母の葬儀のあと何人かの人に「今は何をやっているのか」と聞かれた「昔も今も絵を描いています」「売れるのか」「今は売る気がない」「それでは絵を描くのは無駄ではないか」「楽しいのはいいがそれで生活できなくては何にもならないではないか」

説明などする気もないが絵の道具もないし暇だから話し相手になってやった「酒は好きですか」「結構飲む」「それでお金が入りますか」「馬鹿ではないか酒はお金を出して買うに決まっている」「酒は身体に悪いでしょう」「それはそうだがストレス解消でもあるし」「ストレス解消はいいがそれで体を壊しお金もかかるのは無駄ではないか」そこまで言うとたいてい相手は私の意図が解って突然攻撃的になる

「だいたい芸術なんて高尚なフリをしているだけで社会の何の役にも立たない」「芸術がわかるんですか」「何の役にも立たないかどうかどうやって確かめたんです?」「酒が体特に脳みそに悪いのは証明済だけど」まあこれ以上は仮に腕力に自信があってもやめておく

「目先の役に立つものは危険だ」と私は思っている例えばきれいな空気静かな環境そういうものはすぐに役に立つものではない。但、「空気をきれいにする機械」「静かな環境を整える会社」そういう「役に立つモノ」には私の中の警戒警報が鳴る絵を描くこと絵を見ることはきれいな空気や静かな環境のようなものだと考えている