「ほうとう」を食べた日

昇仙峡 2013

パソコン上で資料を検索中古いスケッチを見つけた絵画教室の数人と日帰りで昇仙峡(山梨県・甲府市)に行ったときのものだ同じ構図のもの中央の水面だけのものなど4枚ほどあった

構図も面白かったが何より水面の美しさに眼を惹かれた以後何枚も水面の泡立ちや流れていく小さな渦を明るい水面暗く深い水面などを中心に描くようになったそのきっかけになったのかもしれない

最重要、「元気だったんだなあ」と思うこの場所まではきっと細い山道を数十分は歩いたのではないだろうか(ほとんど忘れてしまった)帰り際川べりの食堂で名物の「ほうとううどん」を食べたことはよく覚えているが

身体が元気だと感じ方も元気になるそんな気がするコロナになんか負けていられないまた外でスケッチしたいと思う

だいぶへたくそになった

10本の薔薇  ペン

久しぶりに薔薇をペンで描いてみた思ったより時間がかかったうえにかたちがすべてゆがんでいる途中でこれはまずいと思いながら結局そのまま進めてしまった

4日ほど前の夜寝る直前に強い腰痛でかなり長い時間痛みが引かなかったそのうち脛のほうまで痛みがきて結局朝までよく眠れなかった幸い翌朝は何とか歩くことができたが今もずっと緊張感を持っている

歩くどころかまっすぐ立つこともできないこともあった5年前に戻った気分で情けない最低限の筋トレ以外ほぼ運動しないのだから自業自得でもあるのだが運動自体が腰痛の原因でもあるというジレンマだここのところペンでのスケッチが多くなってきたのはそれの先取りだったのかもしれないとつぜん歩けなくなる日が来るなどとは思いたくないが、做好准备、ある程度の覚悟もしておくことが必要かもなどと寝ながら考えていた

富士扬swinsuke展览

“森林仆人”树、藤萨丝透明介绍)展览)
画廊窗口上的“切割”(后面的人不是作者)

即使我每年都被邀请参加一个个人展览,但我仍然没有理由、富士川在Shimokitazawa举行的个人展览会、我能够在几年后第一次去那里。对我来说,藤泽是“云上方的人”。。我在艺术界已经近50年了。有点好吗?、我对它的独特性以及对公众的流行程度并不感到惊讶。、我不认为我嫉妒。但、他的心灵自由、乍一看似乎可以到达,但没有达到、我想我可以抓住它,但我不能、这确实是一个像云一样。

“森林仆人”。公园、可能落入任何人花园的树枝可能是、它说一个世界。而不是、富士岛山、向可能消失的人注入新的生活、我认为它好像我创建了一个谈论的舞台。那样的、树枝很放松、跟我说话。 - 如果你这样写,”啊、那就是世界。”、总是有人假装知道。但是他的剑、让鼻子从那些人中脱颖而出很容易。。是Sei Shonagon吗?、“有点太锋利”说这不好、他的剑是、不要将其切成自然破裂的地步。我恨它、这是一种知道镇压的感觉。

给我留下深刻印象的另一件事是、“(半透明)切割纸(字母)粘贴(半透明)”(如下图)。我是高村哥达罗的妻子、我敬畏Chieko的纸张剪裁、尽管有这种光彩(从技术上讲更多)、对于大多数游客来说,它们可能会被视为“淘汰”。。“那些认识的人会理解”、作者保持沉默、实际上,这不是“对不起”、这一定是一个挑战。您可以在诸如“风神,雷神”,“ Chigogiga”和“猴子蟹之战”等视频中看到的纸剪裁(不要称它们为“剪纸”)。、也许他是他的真正本质。请仔细看看。

我暗中问我的妻子(尽管那是我第一次见到她)。、最初は水彩画だけでやりたかったとか。从这个意义上讲、今回は余分なところにばかり眼を惹かれてしまったがまだ青年のような彼のことだからいずれ瞠目すべき水彩画が描かれるに違いない

Gallery HANA galleryhana2006@gmail.com (11月10日まで)