母の葬儀のあと、何人かの人に「今は何をやっているのか」と聞かれた。「昔も今も絵を描いています」「売れるのか」「今は売る気がない」「それでは絵を描くのは無駄ではないか」「楽しいのはいいが、それで生活できなくては何にもならないではないか」。
説明などする気もないが、絵の道具もないし、Nudil jsem se, takže jsem byl tím, s kým mluvil。„Máte rádi alkohol?“ „Hodně piju,“ „Je to dost peněz?“ „Není to hloupé?。Jsem si jistý, že zaplatím za nákup alkoholu, “„ Alkohol je pro mě špatný, “„ To je pravda.、Je to také úleva od stresu “„ Je dobré však zmírnit stres、それで体を壊し、お金もかかるのは無駄ではないか」。そこまで言うと、たいてい相手は私の意図が解って、突然攻撃的になる。
「だいたい芸術なんて高尚なフリをしているだけで、社会の何の役にも立たない」「芸術がわかるんですか」「何の役にも立たないかどうか、どうやって確かめたんです?」「酒が体、特に脳みそに悪いのは証明済だけど」。まあこれ以上は、仮に腕力に自信があってもやめておく。
「目先の役に立つものは危険だ」と私は思っている。例えばきれいな空気、静かな環境、そういうものはすぐに役に立つものではない。ale、「空気をきれいにする機械」「静かな環境を整える会社」、そういう「役に立つモノ」には私の中の警戒警報が鳴る。絵を描くこと、絵を見ることは、きれいな空気や静かな環境のようなものだと考えている。