今日は大晦日。母はどうやら2018の元旦は迎えられそうだ。もしかすると年末まで持たないかも、という緊急連絡で飛んできた甲斐は、この日を迎えただけでもあるのかも知れない。
ベッドの上の母は、時々死んでいる、と思うほど長い時間、口を開けたままで無呼吸になる。骨と皮ばかりになって眠りと覚醒のあいだをさ迷う。見ている私にできることは、ゴム手袋を着け、口の中に脱脂綿と指を突っ込んで、乾き、固まりかける唾液を拭いとるくらい。話はほとんどできない。
死にゆく人はこうやって、(自分にとって)生きるとはどういうことなのか、考えさせてくれる。たくさんの人の手を煩わせること、それ自体が教育。無駄な死、無意味な死というのは無いのかもしれない。