感覚の墓標 / Grave-postmark of the senses

ニュースやネット本などからの情報を眺めていると世界が身近でよく知っているもののような錯覚を覚えるでも実際は事実のようではあるが不確か他人と共有できることによって事実性を何となく納得しているだけのような気もする

私たちが得る情報の多くは身体感覚を通したものではない今はソファーの上で登山ができるしかも地球の反対側に住んでいる人とチームになって登り同じ時刻に頂上でハグしたりするバーチャル・リアリティの話だがすでにこちらの方が自分にとってリアルだという人もいる

ほとんどの情報や知識は身体感覚など通さない宇宙の知識情報などその典型だ豹やマグロが土星の輪を想像することなど恐らくあり得ない他の動物に想像力がまったくないかどうかは知らないが人間が最も身体感覚から遠い知識情報を持っているのは間違いないだろう

然而、身体感覚を通した情報知識は(それが間違ったものだとしても)特別なものとして私たちの記憶に残る特別とはその記憶が脳だけにとどまらないという意味だ最近の科学では身体中のあらゆる細胞ばかりか身体に潜む細菌バクテリアとの間でさえ情報交換をしていることが解ってきた

知識や情報の量を脳だけに頼るとき私たちの想像力感覚にも墓標が立てられることになりそうだ

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高志的个人博客。不只是关于绘画、我每天都在想什么、你的感受、我想到什么就写什么。这个博客已经是第三代了。从开始到现在,已经有20多年了。。 2023从1月1日起、现在,我决定只在奇数天写作。。我会一点一点地思考我未来的方向和其他事情。。

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