I’m happy, just now.

Apple-Rural (ほぼ終了)

ほぼ終了筆を擱いたこの瞬間だけは解放感があるこれが夜なら一杯飲みたくなるところだが今は昼だから同じ一杯でもコーヒーのほう今日の夕方には冷めてきてあそこがどうここをどう直そうかと考え始めるだからこの一瞬は貴重である

描き始めてからあしかけ1ヶ月くらい。V mém případě、平均すると小品より大きな作品の方が早く仕上がるようだそれはきっと事前の準備の有無による小品は思いつきだけで描き始めることが多い(それはそれで良い点もある)がたまにそれが途中で止まってしまうことがある。Pak、永久に乾かないコールタールのように何年もうじうじとまとわりつく(それも悪いとは言えないかも知れないが)。proto、とにかくいったんは終了まで最短距離で行きつく必要があるそのうえでじっくり加筆するなりあらたな作品にステップアップするのがいい

ウクライナで戦争が起きているそのさなかにこんな大脳のしわが伸びきったような絵を描くなんて(しかも「田園」!)同じ地球に棲み同じ時代の空気を吸っているといえるのだろうか―もっと現代を象徴するような絵を描かなくちゃ―なんて焦ったりしていたがそれが現代なのだと最近は思う
 家族を養うために他国へ人を殺しに行く傭兵がいるいっぽうでその犠牲者を弔う仕事もある爆弾や兵器を作る会社もあればその傷を治す薬を作る企業もあるいつでも学ぶ機会のある世界もあれば一生教育に無縁な子どもたちもいるそれが世界なのだそしてそれらが深いところでみんなつながっていることがやっと解ってきた世の中に他といっさい無関係なものなんて何一つないのだ

自分ができることをやる。Nepřehánějte to、でも誠実にそれがすでに難しいことなのだし

Káva ráno

Dnes ráno jsem si udělal nějakou lahodnou kávu

„Káva“ se zjevně prodává dobře - ne okamžik、Fazole a mouka。Protože koronavirus začal zamykat svět malými způsoby。Lidé již nejsou venku、Zajímalo by mě, jestli to konečně začíná znovu získat svůj vlastní čas?。

Světová ekonomika stagnuje、Zjevně to ne。samozřejmě、Jak zatím pracovat、Společnosti mají velký pokles obchodních praktik、Může existovat průmysl、Například tato káva、Čím více lidí je zapojeno do „individuálního“ průmyslu, tím více činí nebývalé zisky.。Rozvinutá země? Uvnitř、Mimo Japonsko zůstává společnost plochá, nebo spíše se obchodní model po pandemii Covid-19 změnil.、Slyšel jsem, že ekonomická struktura se stala dobrým ekonomickým cyklem.。

経済評論家でもないのにこんなこと書いても仕方ない―コーヒーを淹れ始めるようになって1年近くやっと「コーヒーの味」が判るようになってきたような気がするそれまではインスタントコーヒーのがぶ飲みでそれでも「まあ、Káva chutná takhle. “、Při pohledu na to se nyní nikdy nestali „experimentálními znalostmi“.。

Čaj je stejný。Ti, kteří znají chuť pití lahodného čaje、Lidé, kteří to pijí místo vody。Když o tom přemýšlíte, nejde jen o kávu nebo čaj.、Myslím, že to mohu říct všechno。Šálek kávy mi dal mír a tichou pozitivitu.。- Vojáci z obou zemí bojují na Ukrajině、Občané prchají。Co nejdříve、彼らにも深い一杯のコーヒーをゆっくり味わえる日が来ることを心から願う

Apple in landscape(風景の中)

風景の中の Apple (アイデア)

目覚め前ココシュカのポスターの夢を見た。2019年5月の「ウィーン・モダニズム」展を大阪の植松君と一緒に見たときの絵の夢だ。Úplně jsem na to zapomněl、Bez varování、Najednou se to objevilo v mém snu。Než moje paměť zmizí、Prozatím jsem se pokusil „prakticky přidat“ na plátno 100. čísla, které kresbuji (samozřejmě, plakáty Kokoshka jsou mnohem sofistikovanější).。

Minulý týden asi、制作にあたって足踏み状態だった・・・方向は決まっている―描き方もほぼ決まっている―「でも具体的なイメージが湧いてこない」―イライラしながら別の小さな絵を描いたりアトリエの細々した片付けや作業をしながらずっと考え続けていたが・・・何も湧いてこず少し焦り始めていた

オスカー・ココシュカは20世紀たぶん「表現主義の画家」とされているだろうオーストリアに生まれ(最終の国籍は英国スイスにて没クリムトやシーレなどとともに「ウィーン分離派」の運動にも参加し目覚ましい発表をしている(年譜から初めて知ったがバウハウスでも教鞭を取ったことがあるらしい)けれど結局はグループに与せず自分ひとりの世界を歩んだ人である
 正直に言うと彼の絵は今もわたしにはよく解らず決して好きなわけでもないそれでもなぜか作品の「重さ」のようなものがずっとわたしを離さなかった―それから3年経った今朝になって忽然とそれが夢枕に立ち上がるなんて―夢の啓示を忘れないようすぐ二階に跳び上がって展覧会の図録を捜索した

夢の中で「これだよ!」と叫んだような気がする時計を見ると6時前寝たのは1時半頃だから睡眠学的にはある種の「神がかりの時間帯」らしい「神(がいるならば)がアイデアをプレゼンしてくれたこれを活かさなければ文字通り罰が当たる」と思いながら寝具を跳ね除けたのだった