
7月8日午前11時半頃、安倍元総理大臣が奈良市で選挙応援演説中、男に手製の銃で撃たれ死亡したというニュースに、日本だけでなく世界中が驚いた。
ウクライナで、なんとも馬鹿げた戦争を始めたプーチンでさえコメントを出した。こんなバカげたことがなぜこうも次々と続くのか。
参議院議員選挙の期日前投票に行ってきた。
政治だけでなく、地球環境もふくめ、特定の人々の利益や考え方が世界をゆがめていると思えてならない。

7月8日午前11時半頃、安倍元総理大臣が奈良市で選挙応援演説中、男に手製の銃で撃たれ死亡したというニュースに、日本だけでなく世界中が驚いた。
ウクライナで、なんとも馬鹿げた戦争を始めたプーチンでさえコメントを出した。こんなバカげたことがなぜこうも次々と続くのか。
参議院議員選挙の期日前投票に行ってきた。
政治だけでなく、地球環境もふくめ、特定の人々の利益や考え方が世界をゆがめていると思えてならない。

7月になってもう七日にもなる。今日は七夕。ma、ちっともそんな気分にはなれない。星に平和をどれほど多くの人が願っても、どんなに多くの人が病気や災害のない世を願っても、ウクライナ戦争は起き、コロナは蔓延する。結局は自分で自分を護るしかない、そんなしぼんでいく気持ちが、逆にどちらかといえば攻撃的な機運の底辺に漂っているのではないか、Mi sento così。
アメリカだけでなく、デンマークでさえ銃の乱射事件。いつ、どこで同じようなことが起きても不思議ではない時代になった。もし銃規制がアメリカ並みだったら、日本でも乱射事件は日常茶飯事だろうと、日ごろのニュースを見ても想像できる。
アートはどうなんだろう。そもそもそんなものは人々の眼中には映っていないようだ。やっぱり、人はモノが欲しいのだ。カネが欲しいのだ。ケンリョクが欲しいのだ。残念ながら、欲望の一本道は延々と続き、道は交わらない。
たった今、BBCの臨時ニュースで、ジョンソン首相が辞意。これでウクライナ戦争の方向がだいぶロシア優位になるだろう。ロシアが歓迎のコメントを出した。
「クロワッサンを描く」をアップロードしました。編集にはいつも苦労しますが、Questa volta ci sono voluti diversi mesi.。Non importa quanto lavori duramente, dimenticherai in un istante、Questa “disgrazia cerebrale” vecchio stile è la “fonte del rimpianto”。È frustrante però、Il cervello stesso, che pensa di non poterne fare altro buon uso, è in primo luogo "fonte di rammarico".、Dovresti saperlo indovinando。
ieri sera tardi、Quando provo a caricarlo su YouTube mi dice "È stato visto 1000 volte"。" veniva visualizzato con il simbolo di una faccina sorridente.。Queste 1000 volte non sono per un video、Totale di tutti i contenuti che ho caricato。Ma onestamente、Ho pensato tra me e me: "Wow! È fantastico".。tutti、見てくれてありがとう。この程度の動画に、計算するのも嫌なほどの時間を費やし、「自分はまったく無意味なことしてるんじゃないだろうか」という不安に悩まされる毎日、少しだけでも見てくれた人がのべ1000人いるっていう数字は、Sento di essere riuscito ad alleviare un po' di quello stress.。
Con un semplice calcolo、Sono passati circa 10 mesi da quando ho pubblicato per la prima volta su YouTube nel settembre dello scorso anno.、1000÷10=100/mese。In media più di 3 persone al giorno、Spero che tu abbia guardato il mio video。毎日3人に(たとえ既知の人でも)あらためて自分のことを知ってもらう機会なんて、普通の生活で、あるだろうか? 1つのコンテンツだけで数万回、100万回以上の再生回数のある「超」人気コンテンツなど、わたしもたまに見るが、可愛い子猫があくびをしているだけだったり、ドジな人があほらしい失敗をしたとかの、他愛のないシーンの投稿だけだったりすることも少なくない。それでもそれは視聴者に癒しとかリラックスとかの、何らかの価値を与えているのだろうと、動画投稿を始めてから思うようになった。それまでは、それらは「無意味ではないが無価値」なものとしかわたしには映っていなかった。
日本ではあまり感じないが、(オンラインで見る世界だけでも)それだけ多様な価値観があるということだろう。GAFAを筆頭とする商業的な思惑を誰しも根底に感じつつ、誰もが伝えたい(共有したい)ことを伝え、誰もが欲しい情報をできるかぎりストレートに受け取ろうとする時代。そういう時代になってきたんだなあと、始まったばかりのわたしのYouTube体験を通じてそう思う。