
無題

という古い童謡があります。覚えている人もきっといるでしょう。―歌を忘れたカナリアは後ろの山に捨てられるんでしょうか、それとも柳の鞭で打たれるんでしょうか。―いえいえそれはなりませぬ。
象牙の舟に銀の櫂(かい。オールのことです。今の人は解かるかしら?)を与え、月夜の海に浮かべれば、カナリアは忘れた歌を思い出すのだそうです(作詞:西條八十)。今は残念ながらWWWFの規制により象牙の売買は禁止されています。それに銀の櫂ではカナリアには重すぎて漕げません、などと理屈を言って作詞のロマンを壊してごめんなさいね。そのうえさらに記憶喪失や脳医学の話をするのは―もうもうなりませぬ。
象牙の舟や銀の櫂、という高価な準備をしてくれなくっても、鳥かごの戸を開けて、自由にしてくれさえすれば、きっとカナリアは歌を思い出すだろうにと、子どもの時分にもそう思いました。
忘れられないのは、父が可愛がっていたカナリアのこと。わたしが可愛がっていた猫が、籠から逃げられないカナリアに爪を立ててしまった朝。父はわたしも猫をも叱りはしませんでしたが、以後二度と生き物を飼うこともありませんでした。小学生だったわたしは、父がカナリアの始末をするのを無言で見ていたはずですが、よく覚えていません。
(売れる)絵を描かない画家、というぶざまな自分を顧みるとき、ふとこのシーンを思い出すことがあります。歌を忘れたカナリアと絵を描かない画家。―一緒に後ろの山に捨てましょか。いえいえそれはなりませぬ。せめて埋めてあげましょう、父のしたように。いえいえそれさえ叶わぬ世でしょうか。
アメリカのトランプ大統領が、自分が就任したら「24時間で(ウクライナ戦争を)終わらせる」、と半分ジョークのつもりで言った(はずだ)。そんなのを真に受ける人など世界のどこにもいない、と思っていたが、それをメディアが書き立てた(もちろん本人はそれを別の意味で意識していただろうが)。それを多少は気にしたか、6ヶ月くらい、と言い直したから、さらにマスコミが「発言が後退」と騒ぎたてた。トランプ氏は「この野郎」とでも、メディアに対して思ったのだろう。
もともと大好きな(彼は「独裁者」が好きなようだ)プーチン大統領と二人だけでウクライナ戦争の(一時)停戦を実現させようとしているようだ。「6ヶ月以内を目標に」。「口だけでなく、実際にやった」とメディアに鼻を明かして見せたいのだろう。もともと彼はメディアの人間でもあったから。
Men、それだけでなく、彼は基本は商人である。その商人根性まる出しの行動が、ウクライナに「レアアース」をよこせ、というドサクサ紛れの要求だ。いわゆる「ミンスク合意」には頬かむり、まるで100%善意であるかのような支援を装ったままでの要求は、ほとんど「火事場泥棒」的だとわたしには思われる。
一方、このバカげた戦争を始めた張本人であるプーチン氏には何一つ要求しないどころか、独裁者好きらしい「ご丁重な」扱い。一方のゼレンスキー氏に対しては、最初から「優秀なセールスマン」などと、上から目線である。
そういう行動がいかにアメリカ自身を貶めているか、彼の掲げる Make America Great Again (MAGA)にも矛盾しているのは多くの人々の指摘するとおりである。西欧側が反発するのは当然(チェコやハンガリーのように、反発に反発する国もあるが)だが、それにもそれぞれ “別腹” があって、結局は「自分たちさえよければあとはどうでもいい」という、本来の欲望が見え隠れする。もうこれ以上書く気を無くしそうだが、そういう意味では、ストレートに「モノをよこせ」というアメリカ、ロシアの方が、ケダモノらしく正直なようにも見える。