夏の東京オリンピックでも、たまたま彼のインタビューを見た。Jag är säker、メダルを獲ることはできなかったと思うが(レース自体見ていない)、金メダル確定後の今回との話し方が全然変わらない。まだ23歳だというが、メダル云々よりそっちのほうが凄いと思った。 金メダルは「相対的」なものだが、「生き方」はそうではない。―(言葉はそのままではないが)「周りがどうであれ、直前の結果がどうであれ、いま目の前にあることに集中することが(普通に)できるようになった。それが自分の成長」だと語っていた。そしてそれをテレビカメラの前でも「普通にやっている」ことにいささか感動する。この人は「自分の」スノーボード「道」を建設しているんだな、Jag tror。
繰り返しになるが、「一喜一憂」するということは直前の結果に、それも周囲の評価にとらわれる、Det är vad。個人ならそれにもそれなりの意味がある。Men、「道」を作るということは、その跡を人が踏んでいくという大前提がある。その「ゴール」を見据えれば、NKKはじめメディアの勝手な毀誉褒貶に一喜一憂などしてはいられない。「道を建設する」というのはそういうことからしても異次元のことだろうと思う。 金・銀のメダルはその「道」の建設資産として有用だし、積極的に活用すべきだろう。Men、一方でそういう打算を排除する潔さ(ピュアなこころ)が、「道」を求める者には不可欠でもあろうと勝手に想像する。それがあるかないか。ただの23歳にならそれを求めるのは酷かもしれないが、求道者としての彼にとっては「薫風」でありたいと願う。