
前回の「Matcha」を一部描き直した。忙しかったので、気になっていた部分だけをとりあえず「ザザッと」。この点では何といってもCGがありがたい。実材(実際の紙や絵の具)では水が滲んだり、紙が汚れたり、ほかのところには影響を与えてしまうが、デジタルならそんな心配は100%必要ない。
どこが変わったか?クイズにしようかな?描き直したが、良くなったかどうかは別問題。

前回の「Matcha」を一部描き直した。忙しかったので、気になっていた部分だけをとりあえず「ザザッと」。この点では何といってもCGがありがたい。実材(実際の紙や絵の具)では水が滲んだり、紙が汚れたり、ほかのところには影響を与えてしまうが、デジタルならそんな心配は100%必要ない。
どこが変わったか?クイズにしようかな?描き直したが、良くなったかどうかは別問題。

お茶を飲んで、何気なくそのティーバッグが入っていた袋を見ると、なんだかきれいに見えた。平らで、あまり細かい装飾も無く、描くには簡単そうに見えた。
一見爽やかな緑の地が広く、」そんなに文字が多そうには見えない。Men vad är det för fel?、描いてみると文字ばっかりという気持ちになる。första、漢字、それもいわゆる「明朝体」だ。独特のはね、たれ、留めがすこぶる面倒だ。それにデザイナー独自のこしらえがしてあって、一文字ひと文字、いちいち細かく見比べなければならない。
出来栄えは・・・かかった時間のわりにはよくない。men、いろんな意味で描かないよりは良かった。åh kära、お昼に豆を引いて飲んだコーヒーほどではないが、この「抹茶入り玄米茶」くらいの味に見えたら儲けもの。

前々回、このブラックペパーの途中までを公開した。完成作がこれ。なんだかんだと忙しく、気持ちが切れそうだったが、何とか仕上げまでこれた。GABANのこのシリーズは本当に目にキツイ銀色の袋だ。描いていると反射で目が痛くなるが、反射させないことにはこの金属的な光沢感は表現できない。技術的だけでなく、生理的にも厳しいモチーフと言わざるを得ない。
そんな厳しいモチーフだが、それがしかしこのGABANのパッケージの魅力でもある。透明なもの、光沢のあるものはみな魅力的だ。両方をほどよく兼ねたものが宝石だ、といえば誰もが魅かれるわけが納得できる。
眼には悪いが、あと数回は「銀紙」を描くつもりだ。できれば見なくても描けるくらいになるのがいい(単体の「サランラップ」を描くほどの「勇気」はまだ無い)。見ずに描ければ“健康被害”も無いからね(これは冗談)。透明なやつもあと数回は、たとえばガラス細工とか・・・。金色も、ステンレスとか何枚も重ねたラップなども候補だ。だんだん欲が出てくる。Men、こんなの描いたって(技術的な興味以外には)意味ないかも――なんて考えちゃダメだな――油絵だって、水彩だって、ピカソだってレオナルドダヴィンチだって、面白かったらやればいいし、結局は面白かったから描いたまでだろう。
14世紀フランドルの画家、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンが「キリスト降架」で、慟哭するマリアの「透明な涙」を描いたときの、他の画家たちへ与えた衝撃をいま追体験することは困難だ。その衝撃が17世紀のフェルメールに繋がり、レンブラントに繋がり、19世紀ドラクロアから印象派につながる「津波」だったことは、当のロヒールだって想像もしていなかったに違いないから。―――余計なことは考えないことにしようっと。興味がなくなるまで描けばいいだけのこと、なのかな。