Akhirnya, saya perlu menggambar

Cat air "Dendrobium"

Akhirnya saya harus menggambar。Ini bukan kewajiban。Itu juga tidak berhasil。Sebagai hidup saya sendiri、Saya harus menggambar sebagai ringkasan。

今までもたくさん絵を描いてきたし今も描いてはいるのですがどうも「自分の絵を描いた」って感じがしないんですこのままじゃ自分の絵を描かないままあの世行きだなーなんて考えるトシになってきたんです自分をフジミ(富士見×不死身〇)だと信じていたこのワタシがですよ

Baiklah kalau begitu、これまでの絵は何だったの?ってことになりますよね“かなり手前味噌” になりますがこれまでだって「他人の絵」を描いてきたわけじゃあないはずだしいま自作を見ても自分の世界観がそれなりに絵の中に込められているとは思います(これを「独りよがり」というのでしょうが)。tapi、何か足りないんです
 良い絵を描きたいというのとは違います「良い絵」が描けたと自分が思っている時が一番ダメな絵を描いている時だってのはこれまでの人生で深~く味わってきたからそんな次元はもう卒業しました願うのは「自分にもこんな世界があったんだ」or 「もうこれ以上は無理だぜ」ってヤツかな

それを描いた直後に死ぬってのはまるで時代劇ですがアイツは昔の人だからとそこは大目に見てもらって「この人があと数年生きていたらもっと面白い絵を描いただろうなー」と想像したくなるような絵を描いて死にたいんですべつにそういう評価が欲しいわけではありませんそう思えるような絵を描きたいという気持あの世へ持っていきたい一枚ですね