连一把烂枪都能打几枪?

動画製作中の1カットこういう練習も無駄なのだろうか

下手くそな猟師でも何度も狩りを繰り返せばそのうちまぐれでもまともな獲物にありつくという「経験」を勧める「たとえ」

そうなんですよねー絵もたくさん描いているうちには「オッ!」というのができることがある「けれどそれはまぐれ」いやいやそう考えてはいけません声を大にして言いますが「まぐれは実力!!!」なんです

 アメリカの野球で大活躍の大谷選手。2022シーズンでは43本のホームランを打って一時はホームラン・キングをつかめるかというところにいました今年はどうでしょうね来年再来年はどうでしょうか仮に今シーズン、40本行かなかったとしてもわたしは彼の実力が落ちたとは全く思いません半分以下の20本だとしても評価は変わりません「打てた」ことが凄いんですそれを毎年なんて期待する方が無理なんです野球だけ例に出して恐縮ですがプロ野球で4割打てるバッターはいません。2割以下でもプロはプロです
 何を言いたいんだっけ?―そうそうまずは数撃て経験を積めってことですよねそう経験しか自分を伸ばしてくれるものはないんですよね知識もいったん「体験化」しないと絵に描いた餅のままもっとも「200枚描け」と言ったらずらずらと200枚描いて自分を固定してしまいあとは何ひとつ聞き入れないという人がいましたわたしにとっても想像外でおおいに反省しましたライオンのハンティングも9割以上失敗するそうですわたしたちは失敗しても「今日のご飯」のある「人間」ですまずは数撃っていきましょう

ところがここでもとりあげた最近話題のチャットGPTという言語処理機能の発展が急加速して「経験など役に立たないのではないか」どころかまったくの初心者が「失敗無しに」ベテラン以上の成果をあげることが常識化し始めた感がある「数撃ちゃあたる」と言ったばかりなのにこちらは「一発必中」それも数秒で「コツコツと努力」などと言う言葉がアホらしく感じられてしまうなんだか「人生の半分以上が数秒の価値しかなかった」と言われているような気がしてまことに辛いものがある表題に?をつけざるを得ないゆえんである