
今年の下北滞在はつい「頑張ってしまった」。28日に帰ると仮定して、たったの20日間、例年のごとく、頑張って仕事してしまった。作品の写真締め切りが近いせいもあるが、つくづく貧乏人根性が染み付いているんだなあと思う。
実はテントを持ってきていた(なのに、Saya tidak keluar dalam hari di mana saya bisa mendirikan tenda.)。Cukup atur tenda di pegunungan atau pantai dan berbaring sepanjang hari.、Jika cerah, saya seharusnya pergi ke laut, sungai atau memancing.、と今頃になって釣り道具を用意する「気持ちもなかった」ことを残念に思う。
川は水が流れているだけではない(それは川ではなく、単なる水路のことだ)。Kemarin、黄貂の話をしたが、自然の川とはそれらの動物やその餌となる植物やら何やらと一体になっている、「環境」そのもののことだ。自然のそばにいて「環境」に関わらない時間というものを持っていいものだろうか。それが「雪の中であの美しい黄色をもう一度見たい」などと口走る自分の在りようなのだろうか。
「あ〜あ」。幾つになっても幼い我が精神よ(幼稚だと言っているだけですよ。「若い」という意味はありません)。「豊かさとはなにか」。考えるヒントはゴロゴロしているのに、ゴロゴロしない人には見えないんだなあ。がっくり。