
小池百合子東京都知事が頑張っているようだ。未だに自民党に籍のある人とはとても思えない、非自民党的、都民目線の行動だ(今のところは)。なまじの「無所属」候補より、明確な自民党員でありながらの、このラジカルとも言える実行力は立派だ。歴代男性都知事が皆阿呆に見えると言ったら言い過ぎだろうが。
女性議員、女性大臣もだいぶ多くなってきた。自信たっぷりの女性大臣もいるが強力なバックを当てにしているのが見え見えの人もいて、そういうのはTVで見ていても恥ずかしくなる。それにひきかえ、戦って勝ち取った彼女の自信は本物だ。YouTubeで見たアラビア語の実力も、並の通訳ではとても敵わないレベルだそうだ。Toda、政治は「魔の世界」という。足元をすくわれないことを祈る。
オリンピック、パラリンピックと日本選手も頑張っている様子も連日報道される。最近に限らないが、いつの間にか「頑張る」=「良いこと」=「正しい」というイメージが定着しつつあるようで気になる。頑張らない、頑張れない人=悪い人=排除、という逆イメージも密かに同様に定着し始めているのではないか。みんなが頑張る社会は恐ろしいということを忘れはじめているのではないか。私の時代ではないが「一億玉砕火の玉だ」などという幟が国中に翻っていた時代は、私たちの親、祖父母の時代だ。その人たちの教育のもとに育てられたという「感謝」(今や流行語だ。言わないとバッシングされる)だけではない、もう一つの面があることも忘れてはならない、Mislim, da。頑張らない人もいるのが健康なのだ。
小池さんの「頑張り」は選挙で選ばれた人の「義務としての頑張り」であり、頑張らないとダメなのだ。そこに選択肢はない。しかし選手の頑張りなどは義務ではなく「権利としての頑張り」であって、強要したりされたりするものではない。私たちが選手に応援するのも、しないのも自由なのは当然だ。小池さんに頑張って欲しいというのは、そういう意味において、である。きっとその期待に応えてくれるに違いない。