練習しよう

   「駆ける子ども」  荒目の紙に水彩

紙質に合わせた色と筆遣いの練習です―描けばかならず「うまくできないところ」に出合うテクニックが未熟なのか理屈がちゃんと理解できていないのか集中力がないのかなどなど理由は様々だがいずれにせよ「うまくできない」ことにぶつかる

練習すれば誰でも上達する。Toda、それは無限ではないある一定のところで上達は止まりそこから先はそれを維持するだけでもそこまでの何倍か大変でやがて体力の低下とともに維持できなくなり「レベル」は低下する「一定のところ」の一つは年齢(体力)かと多くの人は想像するだろう体力的なことはどんな人も避けて通ることができないからこれは納得がいく精神的な面も幾分かは年齢と不離不即の関係にあるだろうと考えるのも不自然ではない

Ampak、何歳くらいで上達が止まるかという質問には実は意味がない。80歳から始めても情熱があるうちはどんどん上達する一方20歳で始めても4、5年経つと上達が止まる少なくとも目に見える上達の程度というのはそんなものだろうと思うつまり技術的なレベルというのはある程度決まっていて早かろうが遅かろうがとにかくそこがゴールそういう意味ではなるべく早く到達する方がそのあとの時間が長く使えますって感じでしょうか

「うまくできないところがある」それをどう乗り越えるかは経験によって変わってくる体力と違って経験は増える一方だから(物忘れもあるが)体力の低下を経験智で補なうどころかそれによってもっと発展的な技術を生み出せる可能性はけっして小さくはない
 要するにどんな場合でもがっかりすることなどないってこと練習することで誰でも「経験智が増す」「できないことがある」から経験智が一層深く豊かにもなれるということなんですよね―練習しましょうね皆さん

ベビーシッターズ

「ベビーシッターズ」

公園で遊ぶ子どもがそろそろお母さんと一緒に一人ずつ帰っていく夕方そんな図に見える。Toda、それはお母さんではなくそれぞれのベビーシッターたち

ここには描かないが真ん中に“見張り役” の人がいる東京のド真ん中でのとある日常一枚のエスキースを描いてみる

岡本太郎氏のこと

「ヴィーナス降臨」  水彩+アクリル

教室の方の一人がここ数年埴輪をテーマに制作している彼の故郷には埴輪と深い関係のある遺跡が多数あり次第にそれらを描きたくなってきたらしい

小学生の頃わたしの実家の畑からもたくさん縄文土器が出てきてそれを母が「絵に描いてみたら?」とかわたしに持ってきてくれたことを思いだすそんなこともあって彼のモチーフを使って何点か描いてみたそしたら「あれっ?これもしかしたら岡本太郎の「太陽の塔」のモチーフ(出発点)なんじゃない?」と思ってしまった

ご存知の方は多いと思うけれど太郎氏は「縄文文化」に対する深い敬意と知識は半端じゃなかを持っていた日本の縄文文化だけでなく古代の文化に対する興味造形の深さは至る所に表現されているがこの通称「縄文のヴィーナス」の造形手法はまさに太陽の塔の造形に極めて近い特定のモデルは存在せずそれ自体がひとつの思想である「世界樹」のアイデアを表現したものだと本人は語っているが発言と造形とは同じものではない
 フランスに暮した青年時代西欧文化の海の中で自身のアイデンティティを確認する作業に必死だったはず「縄文ヴィーナス」は彼の中で次第に大きな存在になっていったのではないかと想像するのにも違和感はない

幸運にもわたしは岡本太郎氏と二度お会いし二度ともほんの短い間だが言葉を交わすことができた一度目はまったくの偶然わたしがある外国の画家をたしか神田にあった国際交流センター(正式名称確認していません)に日本滞在の相談で同行した時たまたまそこに用事があったらしい太郎氏が突然現れ話しかけてきたのでした他に人もいなかったので比較的ゆっくりお話を伺ったのですがわたしが舞い上がってしまったのかどんな話をしたのかは具体的によく覚えていないんですよね
 そのつぎの日本での個展の時は図録にサインすることを嫌がっていた太郎氏にわたしは無理にお願いしサインしてもらいましたその時太郎氏が(ただのサインを有難がるなんて)「理解できないね」とフランス語でぶつぶつ独り言を言ったのをよく覚えています