「再現性」再考

湖池屋ポテトチップスを描く(油彩)

ここのところ急にポテトチップスだのチョコレートだのと「お菓子」づいている「伝統的な『絵画モチーフ』以外」を描くことで画題的にも技術的にもあらたな発見を求めようとしているがこれもその一環今回はモチーフはそれぞれ異なるがどのクラスにも同じコンセプトを強いているどのクラスの分もデモ制作しようと考えたら毎日 のようにデモ関連の制作を続ける羽目になってしまった

一番勉強になるのはモチーフを強いているわたし自身だろうモチーフ探しの場所もこれまでと180° 違い近所のいくつかのスーパーだのコンビニだのを回るようになったCGでも写実というより写真的な「技術性」を求めて制作を試みている

写真的描写=上手というだけの低レベルの常識を変えたいという思いからこれまではあえて細かい描写性を遠ざけてきた。然而、そのことが逆に「伝統的な」絵画性にわたし自身を含めて縛りつけてしまったのかもしれないそんな反省から「イラスト」まで含めての絵画「再発見」と現実的な「技術的」観点からあえて写真的描写にフォーカスしている

「再現性」に対する人間の欲求はとてつもなく強い学者の意見を聞くまでもなくビデオだの音楽におけるレコードだのを考えるだけで簡単に想像がつく再現性に対して「即興的・抽象的イメージ」があるが「論理性」に目を向けると「再現性」に関する人間の執拗なまでの努力の歴史が浮かび上がってくるこれを単に「つまらない・面白くない」というだけでは皮相に過ぎるだろう。超越喜欢和不喜欢、もう一度向き合いなおす機会でもある、我认为。

「CGスケッチ」の(逆)効果

シャトレーゼのチョコパイを描く(制作中)

今日は一日中この2~300円台のチョコパイにかかりきりここまでで半分くらいまで来たかどうか(CGの)手描きでできるだけ自分の眼で見たまま描くことが最近のこの“お菓子シリーズ”?のコンセプト透明フィルムの包み紙の反射が目を傷め「座りっぱなし」が脚の血流を悪くして睡眠障害を引き起こすのは解っているがそれがフィルムの透明感の表現に必要だと思うからどうしようもない

手描きCGというのも変な言い方だが紙と鉛筆絵の具はCGだがたとえば直線を描くツールやグラデーションをきれいに処理してくれるツールを使わないとか要するに「描画」に関しては「実在の筆や絵の具で再制作可能」なことを前提にするということ画像とその制作プロセスをデジタル情報として保存することだけを目的にしたCGによるスケッチをわたしは勝手にそう呼んでいる

CGだからうまく描けるということはある。第一的、「覆水を盆に返せる」一度こぼした水はもとに戻すことができないという文化人類学上数千年の「常識」をひっくり返して失敗した線や色を簡単に完ぺきに消すことができるいったん消した線を数日(年でも)後完ぺきに復活することなど「常識」だ他にもいろいろ有利な点はある。然而、根本的にデッサンができない人が CGならデッサンができるようになるという「魔法」はないデッサン力は単なる描写力ではなく観察力などを広く含む「総合力」だからである絵は写真を下敷きに描けばデッサンが正確だとかそういう次元で済むものではないのである

然而、たぶんCGで描く意味はそういう次元にとどまらない描いている自分自身でさえ気づかないところにより大きな意味があるだろうと感じるがそれが何かは今のところ自分でも判らない。1年前はCGで描くのが面倒で億劫スケッチブックに描く方が(慣れているぶん)何倍も効率が良かった。但、今は完全にiPadがスケッチブック代わりiPadに限らないが油絵や水彩同様CGであろうと描き方塗り方の順序を変えると難しくなったり簡単になったりするから時々実際に自分の「手」で描いているような錯覚に陥るそれが生きている感覚に与える影響は些細に見えてたぶん「小さくない」

「CGの方が良い」と受け取ってはいけない実作の大きな利点は「失敗する」ことCGでの失敗は数秒でリカバリーできる。然而、実作ではそうはいかない失敗することで脳だけでなく全身が活性化するそこが「魅力」だと解るようになったのはCGスケッチの効果だ、我认为。人が「失敗から学ぶ動物」ならば「失敗しないCG」はわたしたちを退化させる“絶好の道具”になるかも知れないですね(CGそのものはまったく否定していませんよ。万一)。

糖果架是设计的宝库

巧克力面包干

我前天在Chaterraise买的。、想要圣诞礼物?面包干的。我有一段时间第一次走进商店,因为我要去买冰淇淋。。所以我买了这个,因为我被包装纸的美丽所吸引。。截止今天凌晨4:00以后(11/7)、10用CG画了很久。

我的家人每天吃一两个冰淇淋。。我应该每年吃一块吗?。我不喜欢冷的东西(夏天的冷面就不一样了)。我其实也不吃甜食、即使在超市,我也没有靠近那些货架。。我不感兴趣。。

最近、尝试拓展绘画的主题、我开始积极地参观那些货架。。そこはデザインの宝庫である食べ物飲み物という商品はまず買う人の目を引かなくては手にとってもらえないメーカーにとってそこが死活の第一歩だからデザインには最大限気を遣うのも当然だ高級品には上品なデザインが必要だし安売り商品にはそれなりのアイキャッチが要る

他人のデザインを自分の絵には使えないそれが創作上の鉄則であるわたしがお菓子類の棚に足が向かなかった理由の一つでもある。然而、「練習・勉強専用」の「教材」と割り切って考えることで安くて豊富でさまざまなアイデアに満ちた巨大で常に新しいストレージをそこに見出すことができたこれを使えばまるまる一部屋以上のスペースを楽器だの壺だのに占領されることはなくなる―はずだがどうだろうか