明けましておめでとうございます

“种子形状”SM、蛋彩画、丙烯酸纤维、蜜蜡
《苹果村风景》——这也是反忽视

明けましておめでとうございます。今年我们也保持健康吧。

6大约一年前、100“种子”系列中的一些项目,包括该问题?我做了一系列的事情,比如。其中之一是、我就是无法完成它、它无人看管。一天结束时(我指的是昨天)、明年(我说的是今天)我会画蛋彩画。、就在说之前、我昨天做了媒介。。

8我已经一个月没做蛋彩画了,所以、我已经忘记怎么画了。打碎一个鸡蛋、当我将它与油混合制成介质时,我逐渐记住了它。。在装有颜料的盒子顶部、一边清理我身上的指纹和其他东西。、我应该画什么?、在寻找预涂画布时、这个“半被忽视”的项目出现了。。就像种下一颗种子。

虽然不是新作、我从这里开始。下图也被部分废弃。、我刚做完。

美得“缺了点什么”

よく聞くことだが(現場での)スケッチが一番良く習作を重ねるごとに悪くなって最後の完成作が一番面白くないという話半分は事実だろう時間はスケッチが一番短く完成作が一番長くかかっているのが普通時間をかければいいものが出来るとは限らない

为什么、限られた時間空間の中で描かれたスケッチがよく構想も練られ必要十分な画材とたっぷりの時間をかけて描かれた作品より魅力があったりするのだろうか

わたしの感覚ではそれは現場での直感的な反応も含め「未完成の力」ではないか、我认为。「未完成の音楽」というのが魅力的かどうかは分からないが絵や彫刻ならあり得る半分しか描かれていないあるいは部分的にしか塗られていない絵がえもいわれぬ光を放っているのをきっと多くの人も経験しているに違いない彫刻もそうミケランジェロの荒削りの「奴隷像」円空仏未完成とはちょっと違うが「両腕の欠けた」ミロのビーナス「欠けたものがある」こと自体がその源泉であるあるいはその「欠け方」が美しいのだろうか

反対に「行き過ぎた魅力」もあるたとえば「バロック」たとえば(盛りを過ぎた)「剥落の美」「源氏物語」その現存の絵巻の絵などバロックでは「節度」が欠け(現存)源氏物語絵巻では「力・Power」が欠けているたしか日本民芸運動の主唱者であった柳宗悦(やなぎむねよし)が「茶碗の欠けた一片が整った完成作より美しいことがある」と言っていたような気がする
 

初雪-2

「初雪(那須岳遠望)」  水彩 F6

一昨日と同じモチーフ今回はあえて定番の「道」を入れてみましたやっぱり構図としては平凡になります杉林を広葉樹風に変えそのうえ(特に近景は)色もできるだけ省略するようにしたので、乍一看、桜の時期に雪が降ったかのように見えるかもしれませんね(桜を描くときには使えそう!)白い部分は紙の塗り残しです

いまのところYouTubeにアップするための練習を兼ねて水彩制作を続けているのであまり自分らしくない絵が続いてややフラストレーション気味ですこれでも写真とは結構変えているのですがさすがに「やりたい放題」からはかなり遠いですね。虽然、描くこと自体は嫌な筈もなく枚数を重ねてくるとだんだん水彩に慣れてくるというか技術的にも小さな発見が毎回あるのが楽しみでもあります