作家和公司

栗と葡萄の水滴

今日は上野乃木坂と、4つの大きな展覧会を駆け足で廻ってきた(疲れた)東京都美術館の一水会国立新美術館の行動展新制作展それと企画展の田名網敬一展今日は田名網敬一展を紹介するはずだったが会場での写真はちゃんと撮れているもののなぜか転送ができないのが残念(たぶんiPhoneとmicrosoft との相性の悪さが復活)

田名網氏は画家でありアートプロデューサーであり・・であり・・でありのマルチな美術家であるアート系の雑誌やおしゃれな広告雑誌などメディアでの活躍が凄まじいのでうんと若い人は知らないかも知れないが多くの人は「あああれを描いた人か」と一度は眼にしたことがあるほどの人

一人の人間がやれる仕事には限りがあるその「限り」を軽々と越えていくのが天才だとするならば彼は間違いなく天才であるピカソと同類の実際にピカソが大好きらしくピカソ風の(と言ったら怒られるに決まっているが)絵をこれでもかというほどたくさん描いている模倣だとか言われるのを気にしないというよりピカソ愛のあまりピカソになり切ってピカソより多くピカソ風の絵を描いてやるという勢いなのであるしかもそれは彼にとっては趣味の一部

現代において社会で大きな仕事をするには「会社」が不可欠である彼の仕事のほとんどは会社という組織との共同作業である会社というものが彼の力を存分に引き出す力を与えている経済だけでなく会社(組織)というものが社会の中で持つ力をまざまざと見せられた個人の力などそれが原点であるにしても社会に対するインパクトなど知れたもの
 一水会行動展新制作展などどこにも有為の才能の持ち主がいてアイデアや技を競いそれなりの存在感を示してはいるのだがそれが束になっても残念ながら会社には勝てないのであるだから無用だというわけでは全然ないのだが

参观松本国夫个展

個展会場はゆったりしている
松本さん独特の女性像です

今日は中秋の名月良い月でした満月を見上げながら、昨天、松本邦夫さんの個展に行って良かった~と思いました同じギャラリーの別会場で同時個展をされていた吉岡正人氏ともゆっくりお話しできたしなにより松本さんの絵が素晴らしく良かったのでつい長居をしてしまいました

国立(くにたち)市にある「コートギャラリー国立」9月12日~24日まで国立駅南口を出てすぐの道を右側(立川方向)に行くと2,3分です見たい方はぜひ早めにご覧ください松本吉岡両氏はともに公募団体二紀会の委員実はわたしも昔はこの会に所属しておりお二人には大変お世話になりました

但、作品は常にそういう関係と関わりなく拝見しています松本さんの作品はモチーフや題材の変化はそれほどないのですがここ数年でなぜかぐっと魅力が増してきたとわたしには感じられます何が変わったんだろうと考えるとテーマとその扱い方がシンプルになったのかなと思っています
 画家というのは誰でもこういうものを描きたいこれだけは描きたいという強いこだわりを持っているものですそれは絵を描き続ける原動力なのですが絵画=視覚芸術という点で見るとそのこだわりが視覚性(視認性?)を阻害することも往々にしてあるのですそのこだわりを視覚のセオリーにうまく乗せる方法が作家のスタイルということでありそれが創れなければ作家としては苦しい制作をつづけることになります

松本さんはあまり苦しいそぶりも見せずそのジレンマを乗り越えたのだなあと思います。但、それは決して楽な道だったという意味ではありません彼は非常にまじめにそのことに取り組んでこられそして3,40年かかってついに乗り越えられたとわたしは感じます長い長い苦労の日々があったのですいつも万年青年のようにすました顔でそして常に人を気遣いながら人に頼らず自分を曲げずとうとう自分の世界を確立したのだと思いますすごい人だなあと改めて思いました
 今日の中秋の名月は見事な月でした彼の個展を寿いでいるように見えました

画水滴

葡萄の水滴(水彩・制作中)

先日マスカットを描いた単色だから簡単かと思ったのが浅はかだった確かに「モノは単純に見えるものほど難しい」ことは十分に知っていたはずだったのについ甘く見てしまったこのスケッチはその反省を生かしつつテーマを「水滴」にした

単純なものほど難しいというのは例えばジャガイモを描くのは蜜柑を描くより難しいし蜜柑は栗を描くより難しいジャガイモとただの泥だんごとを見分けられない人はいまいが見た瞬間にそれと分かるように描きわけるのは至難の業だ蜜柑だってただの黄色い丸ではない海辺のありふれたつぶ貝は棘のかたちが複雑なサザエなどより特徴がないぶん難しいのである

別に絵だけではない例えば小説だってその辺のごくごく平凡な人間を描く方が偉人伝を書くより難しいともよく聞く巷の騒音を音楽にするのもそういう意味で難しいことだろうと想像する

話を戻すが絵というのは眼で見て分かればいいというものではない正確に描かれていればいいというものでもない上手ければいいというものでもない見る人の心になにか点火するものがいい絵であるとわたしは思う下描きから完成までどの段階が「点火」になるかは作者にもわからない下描きが一番良くて描くほどに悪くなる絵も実はたくさんあるこの絵もこの先どの段階がベストなのか、和、そこで自分で止められるかどうかその辺が実力があるかどうかの境目だな