
ただ今個展開催中。
和風のギャラリーはとても立派な空間。不人気作家ゆえ殆ど人が来ないため、一日中静かに自作を眺めることができる。庭からの爽やかな風が開け放しの玄関まですーっと抜けて心地よい。
絵の装いは古典的だが「飛ぶ男」は実は近未来人であり、絵のように「飛べない」ことなど百も承知である。人間がどれほど腕力を鍛えようと、人力で羽ばたき、飛ぶことが不可能であることは、現代なら子供でも知っている科学的な事実。この絵のような翼ではムササビのように滑空することさえ難しいと、彼「飛ぶ男」は考えている。和、あろうことか作者であるこの私に向かって「俺はお前ほど時代錯誤の人間じゃない。お前なんかより、もう少し現代的・知的な人間として俺を紹介してくれよ」と注文してくるのである。
しかし「飛ぶ男」は、空を飛びたいという単純な願望の表現ではないという点で、作者である私の意見としぶしぶ一致する。もともと彼は、この古典的なシチュエーション自体に不満である。それを彼に納得させるのはなかなか骨なのだが、それは作者である私以外に適任者がいない。「これは一つの新しい感情・直感の形式であり、それが現実に存在するという意味でリアリティがあるのだ」と、難しい言葉で彼を煙に巻くつもりだ。「感情?ケッ!」と唾を吐かれそうな気もするが。
鳩に少し訓練するとモネとピカソの違いは分かるようになるらしい。訓練されると印象派とキュービズムの違いを認識し、初めて見せられたルノアールとブラックも違いも見分けるという。傾向とかスタイルとかのパターン認識があるってこと。モノクロにされても、一部を隠されてもちゃんと判定するというからすごい。
文鳥はもっと素晴らしい。ちゃんと好みがあり、ゴッホ好きの文鳥とかピカソ好きの文鳥とかがいるらしい。ピカソ好きは別に餌が与えられなくても、自ら求めてピカソの絵の前の止まり木に止まるようになるという。心理学で「感性強化」というらしいが、「自ら求めて」という行動が伴うことがポイント。現代日本人は1年間に一度も美術展、美術館に足を運ばない人が90%以上(だから感性強化が無い、いつまでも同じレベルでいる?)という或る調査データは私の認識と一致する。文鳥はピカソの絵をもっと見たいと暗に研究者に要求(行動)してるわけだ。文鳥は音楽にも厳しく、不協和音?の多い「現代音楽」は好みでは無いらしい。