
風景ー美しい自然環境や、人間と自然の織りなす風土、歴史的環境などを描くもの。そんな風に多くの人は思っているし、私も長くそんな風に思ってきた。
絵というのはどんなものを描いても自画像だ、という言い方がある。もう少し私流に言いかえれば、どんなものを見てもそこにあるのは自分の投影だということ。寂しい人にはどんなものも寂しく見え、寂しいものしか見えてこない。
美しい風景があるのではなく、美しさを感じる心がそこにある、ということだろう。絵というものはきっとそうやってできているものだ。
風景ー美しい自然環境や、人間と自然の織りなす風土、歴史的環境などを描くもの。そんな風に多くの人は思っているし、私も長くそんな風に思ってきた。
絵というのはどんなものを描いても自画像だ、という言い方がある。もう少し私流に言いかえれば、どんなものを見てもそこにあるのは自分の投影だということ。寂しい人にはどんなものも寂しく見え、寂しいものしか見えてこない。
美しい風景があるのではなく、美しさを感じる心がそこにある、ということだろう。絵というものはきっとそうやってできているものだ。
夕方、近所の川土手沿いに散歩した(自転車で。長距離の歩行はその日その日の調子による)。夕方5時半頃には既に暮れかかり、満足に餌を採れた大きな鴨たちは既に首を羽根の中に入れ、眠りに入ろうとしていた。
川幅せいぜい5メートル。その真ん中あたりで夜を過ごすのなら、大きめの犬なら一跳びすれば十分届く距離。鴨から見れば気が気じゃないという位置だと思うのだが、自分の危険センサーに自信があるのか、案外慣れているようだ。細切れでも、一瞬に深く眠る、そういう能力があるのだろう。夜が明けたら寝ぼけていては危険。一刻も早く眠りにつく意味は理解可能だ。
釣瓶落としの夕日の中、すぐにお腹が冷えて、調子悪くなった。
安倍首相が内閣を改造し、党役員人事を行った。賛否両論、盛んにマスコミで論評しているが、一方でモリカケ問題からの、両者の意図的な目くらましでもある。
「実務者」内閣だと首相が最初に胸を張ったとき、NHKでは政治部記者が「その通りだと思います」と言っている。まさに地に落ちたマスコミのなれの果てと言いたいところだが、まあいい。この顔ぶれが本当に「実務者」揃いなのか、それが「その通り」なのかは、すぐに分かるだろうから。
生態的に見ると、これはコバンザメ一家のようだ。親コバンザメにびっしり付き従っている子コバンザメを見るようだ。コバンザメは穴には住まないが、まあ同じお腹(住まい)にくっついている、一家であることは同じようなものだ。ただし、子コバンザメは、その親にくっついているのが、普通の種類と異なる。
困ったことは、孫コバンザメ、ひ孫コバンザメと、次々と小さいやつができつつあるらしいことだ。子コバンザメ、孫コバンザメとも実は血は繋がっていない。自分の取り分を横取りされたり、噛みつかれたりすると、怒ってお互いに食い合うことさえある。Echter、今のところは親コバンザメの図体が大きいので、とりあえずは同じ穴、じゃなかった、腹違いの腹にくっつき合っている(その後どうなるか、某水族館にて観察中)。