新しい誘惑

今年も似たように花は咲くが誰も前の花など覚えてはいない

浮世絵版画の背景?に書かれた文字が読めないというイライラは以前からあったのでこの際一挙両得ということで変体仮名の勉強を始めた(もともと外国語ではないので)覚悟を決めてかかったわりには読みだけならそれこそ基本のイロハを覚えれば何となく読める江戸の庶民は基本的にひらがなしか読めないのでそれで浮世絵の中の文字ならだいたい読めることになり当座の目的は達成する

然而、読めるけれどなんの事だか分からないというのがたくさんある例えば江戸時代に使われた道具ひとつとっても現在既に使われていないものについてはそれが道具であることさえ分からないそれは江戸時代の文化や社会などについての知識がないからだ

それを知りたいとなると厄介だどんどん深みにはまってしまうこれは危ないどこかで切り上げないと大変なことになる。但、危険というものはたいていいつも興味と背中合せになっているものだはじめの一口がいつのまにか大酒飲みを作り出してしまうようなものか

昆虫・油彩・大理石

    「蝶など」 油彩・大理石

昨日(3/25)久しぶりに上野へ桜は満開花の下では中国からの旅行者たちがかわるがわる枝を自分の顔のそばに引っ張り込んで写真を撮っていた暑いくらいの陽気で大勢の人で賑わっていた

ブリューゲル展(東京都美術館)に入った久しぶりのクラシック展だったがまあこんなもんかという感じ。但、出口近くの2点には少し驚いた写真はそのうちの1点2点とも6号ほどの小品だが油彩で昆虫を驚くほど細い筆で描いてある作者はヤン・ファン・ケッセル、1659年作磨かれた大理石の上に描かれている

そうだ油彩は石の上にも描けるんだったなあと改めて思い出した。但、このような場合油彩につきものの「油のヤケ」が全然見られないついさっき描かれたかようにフレッシュしかもひたすら「昆虫」図鑑のような描き方がいっそう現代的であるように感じられた

道すがら西洋美術館に立ち寄り「プラド美術館展」も見るヴェラスケスのデッサン力・構想力が他を圧倒しているの企画どおり。然而、私的にはそれらの展覧会をずっと立って見ていられたことの方が嬉しかった

私たちを消去できない

腕を組む男(習作)

怖い夢を見た亀の子タワシのお化けみたいなやつが円形のテーブルの上を這いまわりながら喋っている「お前たちは私を消去することはできない」スマホでワンクリック消去することはできた

何が怖い夢かというと彼らが勝手に私たちのスマホの中に入り込むばかりかそこから自由に現実の中に飛び出して来れることだスマホの中で増殖しそこから続々と現実の中で暴れまわる。和、実際に彼らの言うとおりやがて消去できなくなる

そのうえもっと怖いのは彼らがスマホやパソコンを熟知しているらしいことそこから生まれたのだから当然といえば当然手足の数もムカデの比ではないあの手にそれぞれスマホを持たれたら悪魔の千手観音ではないかさらに生まれてくるのが亀の子タワシとは限らないとしたら