从昨天继续、切子玻璃。实际工作是“前天继续”。昨天我又画了一张“Kiriko Glass”。
我以令人惊讶的热情画了它。、花费了令人惊讶的时间。但、如果你这样看、第一的、被画得不好的单色眼镜有点败了。。花了两倍的时间、这很业余,不是吗?、图片是。
我想如果你把它填满,它就会有颜色。。色彩让一切感觉更加丰富。这是真的。所以任何人都想使用它、光是使用它,我就感觉自己很“富有”。。そんなもの求めてもいないつもりでも、感覚は意識の外でもあるから。
从昨天继续、切子玻璃。实际工作是“前天继续”。昨天我又画了一张“Kiriko Glass”。
我以令人惊讶的热情画了它。、花费了令人惊讶的时间。但、如果你这样看、第一的、被画得不好的单色眼镜有点败了。。花了两倍的时间、这很业余,不是吗?、图片是。
我想如果你把它填满,它就会有颜色。。色彩让一切感觉更加丰富。这是真的。所以任何人都想使用它、光是使用它,我就感觉自己很“富有”。。そんなもの求めてもいないつもりでも、感覚は意識の外でもあるから。
発想というのはある日あるとき、突然に頭に閃くもの。和、それはずっと考え続けていたバラバラなものが、急にこれまで予想もしなかった結びつき方をした瞬間。一些诺贝尔奖获得者谈到了这样的经历。。即使不是诺贝尔奖、似乎许多发明家和其他人都有类似的经历。。
与自己比较是自以为是的、除了级别之外,体验都相似。、誰でもある程度あるのではないだろうか。另一方面、あの人の発想はいつもちょっと変わっている、などということもあり、その場合は突然ではなく、普段から別回路の発想法?をもっているということになるだろうか。
わたしがいま望むのは「ノーベル賞型」ではなく、「発想法型」の発想法である。言うまでもなく、マネできそうなのはそちらしかないからだが、そう思っていろいろ調べたり、考えたりしていると、発想(法)云々は実は発想の問題ではなく、単に「考えること」なのではないかという気がしてきた。简而言之、「考えない人」から見れば「考える人」がユニークな発想に見えるだけなのではないか、天才的な発想というのは確かにあるだろうが、一般的にはそういうことがほとんどなのではないか、と思えてきたのである。
考えない人などいないだろ!お怒りはごもっともです。但、まともに、とか論理的あるいは合理的に、とかあるいは科学的に等々、少し限定すると急にその怒りも鎮まるように思う。何が大切で、そのためにはどうするのか、どんな方法があるのか、それを自分でどうやるのか、そんな筋道を「普通に考える」ことのほうが、案外「ユニーク」と考えられているのではないか。「考えること」は「思う」こととは違う。考えるためには知らなくてはならないし、知るためには学ぶ・調べる・経験するという「行動」が要る。わたしが「考えない人」のど真ん中にいる理由はこれだな。ナマケモノなんだ。

2020年にいったん完成させた作品に加筆したもの。加筆箇所はほぼアウトラインのみ。前はウルトラマリンの細い線だった。何となく納得できないまま、ほぼ1年放ったらかしになっていたが、昨日ふっと「アウトラインの細さが、存在感の無さにつながっているのではないか」と思いついた。
同じウルトラマリンで太くしてみたが、効果が弱いと感じたので思い切って黒を混ぜてみた。線の端が必要なラインからはみ出すのは、一度筆を止めた直後に無造作に再び筆を置く癖のため。水彩の時はそれでリズムをとることもあり、必ずしも悪い癖とも言い切れないが注意が必要だ。哦亲爱的、試験的な作品だからいいとしておく。
黒という絵の具は、艶があると締まった深い感じを与えるが、艶が無いと灰色に見えてしまう。水彩の場合はアクリル板を使うと黒がすごく良く見えるのはこの「艶」の効果。ここでも黒だけは艶を出してみた。「ガラスのApple」という題にしたが、そんな感じは出ただろうか。