アートアーティストってなんだろね?

        第77回二紀展松本邦夫「響く景」 (国立新美術館東京)

昨日あさイチでYouTubeをアップロードしたあと乃木坂の国立新美術館へ二紀展独立展を観に行ってきた

どちらの展覧会にも知り合いが何人もいる彼らが元気で出品しているのを見るのが一番の目的内容なんかどうでもいいとにかく元気でバカデカい作品を出していてくれればそれでいいその上でバカなことをやってくれればバンザイでもしたいところだが、每个人、さすがと言うべきかなかなか上手にまとめてソツなくごまかしてやがるでもまそれはそれでいいでも会場の黒リボンだけは寂しくてやりきれない

メディアがいう「アート」とわたしたちアーティスト(自分のことをアーティストに含めていいのかな?)との感覚は全然違うメディアだとなんだか非常人的な「独創的」発想で人目に触れないところでの努力の結晶的にまとめてしまいがちだだから普通の人との薄い接点がますます薄くなる
 それはたしかに見当違いではないし放送という時間の制約がある中ではある程度やむを得ないところがあるとは思う。虽然、現実のアートはもっともっと身近で多様で時には楽しく時には厳しい

アーティストにとって一番大事なのはアートであって命はイコールもしくはその次ということは確かだアートは普段の生活や他のすべてのことに多大な「コスト」を伴う「生き方」そのものですそれを受け入れるには才能などよりむしろ一種の覚悟が要るほんの束の間の解放とほとんどの時間を消費し続ける覚悟だそこが共有できているからアーティストは互いにライバルであると同時に貴重な貴重な仲間なんです
 そのくせではアートってなんですか?と問われるとたいていすぐ答えられない(哈哈)。メディアにとっては「言語化」が必須の手段だからそう訊くのだがアーティストにとっては言語化が主体ではないからね無言あるいは意味を為さない “から騒ぎ” も「作品」そのもの「体現」そのものを見よと言ってるだけのこと言語化しか伝達方法がないと思いこんでいるような人々にはそこが通じにくい。但、その思い込みさえ外れればアートなどすぐ目の前にあるごく普通のことだってごく普通の人(「普通」という意味が曖昧だけど)がやってることなんだからね
 アーティストがやることすべてが「アート」なんです!その単純な意味がどうしてもメディアを通すと歪められ時にはまったく伝わらない実物本人の前に自分自身が向かい合えばすぐにアートとの会話が始まるんだけどね

大安(吉日)

今天很重要。有什么好吗?、我在想、现在什么都没有(好、虽然这很正常)。相反,我的头在早晨有些沉重(尽管如果我的大脑沉重,那很好)。、我的电脑运行不佳、我在监视器上大喊了多少次(我很尴尬,我不能这么说)。我想我可能会错误地改变了“佛教”的一天不同。 

这是很多、佛陀的an灭是、当我打开笔记本时,它写在日期中。。直到几年前、我知道,但从未见过。最近,我尽量不要尽可能多地参加“佛教”的日子。

特别不愉快的东西、我想知道为什么发生不好的事情、我现在很后悔(现在、我)。在这样录制时,、在佛陀死那天,很多人、数据(感官)已经出现。当然、我知道这是偶然的、如果您没有任何特殊的需求,那么您就不需要在这样的一天外出。、这就是为什么我开始那样的感觉。当我不得不出去时,我需要告诉他们:“今天是佛陀的歼灭,所以要小心。”。这让你发笑,不是吗?。

今天很重要。目前没有什么好、没有发生任何坏事(头痛已经消退)?这可能很重要。我什至不工作、躺下、只是不时阅读书籍。我不知道这是否完全是最便宜的。即便如此、为什么我的计算机这么糟糕?、我怀疑这是微软的工作。。