頑張る栃ノ心

ヴァイオリンと水差しのある静物習作

大相撲夏場所で関脇・栃ノ心の活躍が素晴らしい特に今日は26回目の対戦で初めて横綱白鵬に勝利しかも初勝利とは思えないような堂々たる力相撲の末の完勝腕力だけの荒い相撲から力強くかつ緻密な相撲に大転換した

勝ち方を覚えたんですねというのは解説ではないどうやって勝ち方を覚えたのかを解説して欲しいのだが解説者自身にそういう経験がないから言えないのだろう地道な努力それも誰だってやっているけれど栃ノ心のようにはならないのだそこが知りたいではないか

(たぶん)彼は「自分の体」「自分の力」が判ったのではないか相撲のセオリーやこれまでに染み込んだ常識をもとに成長しつつもそれを文字通り「脱皮」し捨てさることができたのではないか、мисля, че。本当の意味で自分を知ることで無心になれたそれが今の栃ノ心ではないか。Но、人は弱い一歩進めば再び自分を見失う無心のままに相撲を取り続けて欲しいものだ

動詞としての「造形」

バイオリンと水差しの静物習作

Това ли означава да създавате?。

Красиви японски сладки。Показва се през елегантните тънки дрехи、Избрана и добре известна паста от Бери боб от известна местна продукция。Предлага се с красива чиния за бонбони、Малка лъжица лак。Сянка от свежи зелени листа пада от прозореца на Seimei。

Ако това е "моделиране"、сънлив。Но、Когато се замислите, е вярно, че такива аспекти не могат да бъдат отказани.。Но、Защо си сънлив?

С други думи, „моделирането“ на глагол?、Съществително ли е или нещо подобно?。Това, което търсим, е оформянето на глагола。В противен случай、Рисуването означава същото като красивите японски сладкиши。Снимката по -горе е、Все още е бонбон。

美的価値感

    宇佐美圭司(参考作品)

東京大学の学生食堂(安田講堂地下)にあった宇佐美圭司の大作(4×4m)を生協が捨ててしまった(廃棄処分)ということで各方面から呆れられている

この大作は東大生協創立30周年記念ということで生協自らが宇佐美氏に制作を依頼したものらしい

大学構内の施設改修で食堂も移転することになり作品をどうするかが当然議題の一つになった。но、結局のところ所有者である大学生協側が面倒くさくなってポイしたということだ移転や保存の方法について専門家に相談するでもなく(密かに)廃棄したというやり方に彼らの美的価値観が表れている「つまらない絵だ」と思っていたということだ

しかも「あの絵はどうした?」という学生教職員らからの質問にいい加減なウソを答えていたことも明らかになったなんだかモリカケを巡る国会での政府答弁そっくりだなあとその点でだけさすが東大だと納得した