風景画の試み

「風景」習作

今年は「風景画家」になるそれが目標ととりあえず宣言しておこう
あっその前に「あけましておめでとうございます今年もよろしく」です

毎年何度かチャレンジするがいつも中途半端で挫折風景が問題なのではなく考え方がちゃらんぽらんだから。Dan、なんの反省もなく同じことを繰り返す繰り返すほど失敗データだけが積み重なり頭は失敗のカスだらけになる

「風景画家」はともかく私だけでなく現代のどの画家にとっても風景画は難しいそれは写真の視覚と戦わなければならないから写真の機構機能的レベルはすでに人間を遥かに超えているしかもそれが誰の手にもありそのレベルに慣れっこになっているどうやってそれと戦うのか?その戦略なしに迂闊に風景画など描けないから

もちろん私たちの頭はまだ19世紀にあるから通常は普通の風景を上手に描いていれば(むしろその方が)十分に楽しい

年賀状アイデアーその1

年賀状アイデアスケッチから

尻から火が出ているのは気づいているが目の前の(実はどうでもいいような)雑事に鼻を引かれて尻の火を消さずにいた(まるでヒエロニムス・ボスの絵を実写版で見ているようだ)

28日の午後8時過ぎやっと年賀状にとりかかったひと月前から自宅プリンターより外注が安くてキレイともう耳ダコがいくつもできるほど聞かされては両手両足でロバの耳を塞いで今日まで過ごして来たのだった

「今年は猪のように一直線」なんて脳みそに亀裂が入るこんな文言は生理的に無理だふと思いついたのが「マンガ仕立て」いいじゃんなぜか桃太郎の1シーンが浮かんだのでそれぞれのセリフも描いてみた桃太郎「これから鬼の征伐だっ!ついてこい!」背中に桃印吉備団子が入ったリュックを背負っているーキジ「もし鬼が想定以上にいたらキジダンゴ割り増しだぜ」ー犬「黍団子なんてそんな子どもの食いもんに興味などねぇオニの宝を取ったら次はキジ鍋だ最後は桃太郎ごと桃粥にして食ってやるのさ」実はこいつは犬のふりした狼なのだが阿呆な桃太郎は気づいていない

猪は寝ているオニ征伐に行かない腕まくらをしてぐうたらをきめこむ「行きたい奴だけ行けばイイイイ歳をしてそんなの行くか(アホ)」イイと猪をかけたつもりだった

トコロがどっこいおとぎ話の桃太郎には猪など出てこないのだ「猿」の間違いだ右か左の脳が「三蔵法師」の話と取り違えたらしい(いま私の頭の中でお互いに責任をなすり合っている)年賀状のストーリーとしてはまあ滅多にない(から面白い)だろうと思いつつ果たして年賀状として理解可能かどうか思案中でアル

そいつは誰だ?俺の中にいるのは

「ある男」習作

「ある男」は飛んだり跳んだり浮かんでみたり沈んでみたり時には指を組んでみたり自らか人によってかシェルターに入ったりするそして時々叫びタツマキを起こす死んでは新生を繰り返すこいつはいったい誰なのか