ジャイロスコープ

ジャイロスコープ(船の科学館)

船的美丽、续集。照片包括陀螺仪,这对于帆船至关重要。、当您想到指南针时,您可以理解它(蓝色是我衬衫的颜色凝视着它的颜色)。。这是一艘实际用于海上航行的船。、保存了什么。这是一个完全实用的物品,但是真的很漂亮吗?

现在正在变成一个死词、当我还是一名学生时,仍然有诸如实践美和功能美之类的词。。与针对美的艺术品不同、纯粹的功能、旨在实用性的设备、这个词意味着获得消除不必要事物的美丽。。

我忘了谁说、我觉得这些话暗中藏着对装饰或余地的不喜欢(被高估了?)。肉和脂肪的敏感性、骨头破碎了感性、说您面向简单的美丽可能会更容易。。私などはそうした美学に共感しつつも「不要な物」というその独善的な物言いに多少の反発も同時に感じたものだった

このジャイロスコープを見てそんなことを思い出したジャイロスコープは美しくなくても使い易ければそれでいいこのジャイロスコープもその方針で作られたものに違いないその意味では「骨」的志向と言えるだろうダイヤ形の印しも見やすさを考慮したものだけれどこの大きさはこれよりほんの少しサイズが大きかったり色がほんの少し薄かったり黒味がかったりしても実用性に問題は無いそれなのにこれをジャストとしたことには設計者制作者の美学が入り込まざるを得ないこれは「骨的な志向」ではなく「肉」的な志向ではないかそぎ落としていくだけでは本当の美は生まれ得ないのではないかそんな風に当時も感じていたのだった

ともかく船の内部器具用品にはなぜか美しいものが多い自動車でも飛行機でも事情は変わらないようなものだが美しさという点では格段に落ちる気がする(多くは私の偏見だろうが)その違いの一つは「重さ」から来るのではないかと私は睨んでいる

船の備品は飛行機や車に較べ総じて重く大きく武骨である揺れる船上での扱いがそれを要求するのだろうがそれが人間の感覚にどっしりした安心感や親しみを与えるのではないかと感じている設計制作に携わる人々にもそれは共有されだから船という一つの美しい体系が出来上がっていくのではないかと思っている。2011/9/10

 

やはり船はいい

南極観測船「宗谷」ブリッジから(お台場・船の科学館)

久しぶりに少しだけ海を見た気がする半月ほど前に下北へ行った時も海岸線を車で走り海は毎日見ていたのだが全然そんな気がしなかった父のクモ膜下のことでそんな余裕も無かったいくらか自分の気持ちも落ち着いてきたのでスケッチに行くことにした

場所は今後のスケッチ会の下見も兼ねて東京に決めていた船の科学館が今月一杯で再開未定の休館になるというのでこれをメインに時間的に可能ならばスケッチするというつもりで出かけた

写真はそこに係留一般公開されている南極観測船「宗谷」のブリッジからの眺め正面に向き合っているのは水産庁の船(東光丸)その奥に広がるのは東京港への水路だろう対岸にはコンテナとコンテナ船がびっしり荷役用のリフトがニョキニョキ立っているこんな風景は宗谷にはふさわしくないだろうが仕方ないおかげで子どもの頃に本で見た記憶のある(テレビの映像の記憶かもしれない)船を実際に見ることができたのだから

但、記録を見ると宗谷はもともと旧ソ連に貨物船として発注されたもので国際情勢の変化で民間の小型貨物船「地領丸」として1938年に就航した船だからむしろ本来あるべき風景の中に戻ったと言うべきかもしれない

地領丸はその後すぐに海軍特務艦になり「宗谷」と改名測量輸送の任務に就く戦後は引揚げ船海上保安庁の燈台補給船として使われた後、1956年に南極観測船に転用されたその時点でも既にかなりのボロ船だそのいきさつも面白いがこのたかだか2700トン程度の(本当に)ちっぽけなボロ船を実際に見るとこれを初体験の国際南極観測船として送り出したこのニッポンという国のおかしみと哀しみを感じざるを得ない戦後間もないとはいえほとんど特攻隊そのままではないか。另一方面、隊員たちの弾けるような好奇心と若さがそれを乗り越えたことに今も大きな共感を感じることができる

南極観測は極寒の銀世界のイメージしか私たちには浮かばないが実は途中で赤道を通り過ぎるわけでその猛暑対策が大変だったらしい初めにソ連の氷洋貨物船として建造された経緯からも暑さに対しては全く考慮されていない船だったことが分かるそこに同乗させられたソリ引き用の毛むくじゃらのカラフト犬などよく死なさずに南極まで連れて行けたものだと思うタロジロの本当の苦しさは実は南極よりインド洋にあったのではないかと想像した

船は形も美しいがその歴史にも何とも言えない深い(人間的な)味わいがある沈んだり解体された後まで人が船に引き付けられるのはそこに小説のような魅力があるからかもしれない

マイ・ビジョン

手(制作中・部分) アキーラ  2011

息子に言わせると私にはビジョンが無いのだそうだ会社の仕事で忙殺されているサラリーマンならともかく言ってみれば自営業である画家が仕事の上でも経営の上でもビジョンを持っていないというのはどうにもならない存在だというのである

当然。今の私にはビジョンが全然無いその日暮しである決して呑気にしているわけではなく実際にはとても焦って緊張しているのだ。但、何も手に付かない出来ないのである(開き直りではない現実)ということはビジョンだけでなく問題把握能力も無くとうぜん問題解決能力も無いということになるついでだから自分について「何が」どれほど無いのか数えてみることにした

まず①金が無い=生活力が無い②問題解決のための知識が無い③それを求めるための知識欲が無い④向上心が無い ⑤行動力が無い ⑥気力が無い ⑦体力が無い(無駄な体力は有り余っているくせに)⑧家族に対する優しさが無い(これは毎日のように言われるのだから家族は私の為に本当に苦しんでいるのだろう)⑨家族への配慮が無い ⑩家族の心情への理解が無いその気持ちも無い ⑪情報センスも無い(致命的なほどだそうだ) ⑫語学力を始め学力が無い ⑬世間常識が無く見方が偏狭である ⑭想像力が無い(昔はあったかも知れないが今は枯れた)⑮絵画センスも無い(あれば今頃もう少しはマシな画家になっているだろう)⑯冒険心も無い(あらゆる面において) ⑰競争心が無い(あるのは家族に対する凶暴な闘争心だけ殆ど暴力親父だ)他人に対しては一見謙譲の心があるように見えるが実は負け犬根性 ⑱「好奇心」が無い(他人のプライバシーに目を向けない) ⑲自己に対する管理能力が無い(毎朝禁酒宣言するのがその証拠) ⑳自分を外から客観視する能力が無い(いつも自分だけが良い人である) 他にも自分の感情をコントロールできない冷静な状況判断能力が無い(特に相手がうるさがっているのに得意になって説明したりこれは人間観察力洞察力が無いことによる)強調性が無い(自分だけが正論だと思いこむ) コミュニケーション能力が無い(なぜか嫌な気分はちゃんと伝わるが)人を公平に見られない(そもそも公平とは何かが分かっていない) 正義感が無い(罪悪感は一杯だが)など数えきれない無能力

これほど能力の無い人はそうそう居ないのではないか?とすればそれ自体凄いことではないかと自分をフォローする自己可愛がりの能力だけは抜群とお墨付きを頂いた