久々のスケッチは(2)

とちぎ蔵の街通り SM  2011/6/28 

スケッチが楽しいといえば「それはあなたが描けるからでしょう」と皮肉っぽく言われることが少なくない今回参加した人に楽しかったかと聞けばおそらく全員がYES!(なぜ英語なのかは分からないが)と一斉に答えるに違いない(なぜ全員同時に答えるのだろうね)「それはあなたが描けるからでしょう?」と続けて聞けばふたたび全員がNO!と答えるに決まっているどうやら質問者は「スケッチの具体的成果」が楽しみをもたらすのだと思っているらしい

雨が降るとスケッチは大きく制限される時には描くどころではない。Али、それでも十分に楽しいなぜならそれは「現場にいる」からなのだと思っているテレビでいくら素晴らしい風景を見ようとすごい料理が紹介されようとそこに行きそれを味わえないなら大した価値はないテレビでは絶景の詳細や見所がアップされ歴史や周辺の民俗の知識も得られるが「現場」には「知識」など転がってはいないローマに行こうと沖縄だろうと千葉の海の一つの磯だろうと自分と目の前のモノしかないモノと自分を結び付けるのは感性だけ

感性とは動物的な感覚だけではなく知識や嗜好もふくめた過去の自分のすべてのことだそれが「今」と「現場」でぶつかっているそれは活きているということと同義語ではないか?描けようが描けまいがスケッチが楽しいというのはそういうわけなのである 2011/6/30

久々のスケッチは

旧栃木県庁(ペン・水彩)  SM  2011

ご無沙汰書くことが何にもなかったわけじゃないファクトはあり過ぎるほどあるが最近はかなりの上にもかなりの気力を振り絞らないとアップできないなんでこんなに落ち込むのかすっかりマイナー思考に陥ってしまっているらしい

久しぶりのスケッチ行今回は278人の大所帯全員と顔を合せなかった人もいたに違いない場所は栃木市蔵の町通り周辺のいわゆる定番コースだ東武動物公園から急行電車で40分足らずたくさんの人が訪れるスケッチ初心者コースだ。Али、初心者コースだからといってできる作品まで初心者並みにならないのが「キャリアの違い」というもの参加者は全員がベテラン参加メンバーの作品を写真に撮っておかなかったのが失敗だった

暑かったむき出しにしていた腕が日焼けでカッカしているここ数日寝不足無気力風邪気味の三つ揃えで参加するのが少し億劫に感じるほどだったのに参加者の元気と天気(良すぎ!)にほだされて結局16枚も描けたそれも邪念無くありがとうと言うしかない  2011/6/28

がんばろう自分

The man in shelter  210*270cm 2011

今年の晨春会展の出品作「少しずつ制作が進んでいます」でさわりだけ紹介した作品だシェルターの中でご丁寧にもカプセルに包まれている見る人はきっと福島原発から空中に放散された放射能との関係を読み取るに違いない

実はカプセルのアイデアは「花粉症」対策のヘルメット?から花粉はそれ自体が小さな一つの生命体それが体の中に入り込む時それぞれのDNAとの関係がさまざまな問題(長い目で見れば必ずしも悪いとは限らないのだが)を引き起こす時には進化との関係で革新的あるいは破滅的な影響を与えないとも限らない放射能のような単純な悪影響だけのものとはレベルが違うのだ。Али、放射能問題は生活の問題つまりお金のことがストレートに関わってくる生活の深刻さに誰しもが他人事でなくなるからついこの絵と放射能を結びつけてしまうのだろう

3月11日から既に100日以上経った既に?いやまだたったの100日しか経っていないのだ復興だこの機会に新しい産業構造にシフトせよ未来への都市計画を云々・・この国は悲しむ暇さえ与えてはくれないのだ1年間くらい国民すべてが喪に服すくらいの気持ちがどこからも生まれない国だこんなことをしていては日本経済が駄目になってしまう・・という経済界の声それしか聞こえない政界の耳石原幹事長国民的ヒステリー状態というのはこういうことを指すのだよ分かってないんだな

悲しみは泣くことによって解消されるのだそうだ泣く事のできない悲しみは一生心に焼き付けられてしまうという思い切り泣くことではじめて心が解放され生きる希望が自然に湧いてくるということは現代心理学の定説だなのにマスコミやこの国のエリートたちはこんな常識も無いというより発想が無い金を与えれば悲しみは消えると思っているらしい

がんばろう日本もうやめてくれないか?君はもう一人じゃないそれも止めてもらいたいそうではなくてもっと正直に自分の胸に直接聞くことが大事なんじゃないか?震災でなくても人にはいつもそれぞれの悲しみがあるだからこそ震災にも共感できるのだまずは小さく自分の心にエールを送ろう「がんばろう自分」って