
一日中憂鬱で、絵を描く気力も湧かなかった。
教室の仲間がまた一人亡くなったと連絡があった。1月末には退院できるかなと、思っていたが、2月になっても復帰できずにいた。いつも意欲的で、新しいことにチャレンジする人だった。81歳。心からご冥福を祈りたい。描きかけの絵があり、退院してきたら、最終のステップを体験してもらいながら、完成へと行くつもりで準備していた。
最近、わたしの周りでは土木工事、解体工事がやたらに目につくようになった。時期的なものかもしれないが、ここ数年では見られなかった多さ。なにかが、動き始めているのだろうか。
昨年で、銀座等で開くグループ展などから一切手を引いたことは、前にもお伝えした通りだが、時間の流れと、無常を繋いでみると、もっと正直に自分の絵を描かなくては、Мислим да。人に見せることが絵の宿命ではあるけれど、別にそこで共有だの、共感だのを求めなくてもいいのだ。絵の評価など、どうせろくなものではない(今年、ある展覧会の審査員をするのだけれど)。褒められようが、けなされようが、せいぜい五十歩百歩だ。そんなのに惑わされず、出来るだけ無心に描くことが、幸せへの道ではないかと思う。わたしは絵のことしか知らないが、好きなことに無心になること、自分を澄ますことに憧れる。