Bhí mé ag imirt ♡

          “Ag an ollmhargadh (staidéar)” Uiscedhath

arú inné、Tá "Spring Sanma" foilsithe (teideal an ailt ná "Conas liath a úsáid")。Dá bhrí sin、Má tharraingíonn tú cúinne den ollmhargadh mar atá sé、Léiriú a bheidh anseo ar an aimsir leanúnach “anois.”、scríobh mé。Is fíor sin áfach、Déan é i sraith、Tarraing ollmhargadh iomlán、Sílim gur coincheap é a thagann trasna ar deireadh.。Post bagrach don bheatha a bheadh ​​ann.、Faoi láthair, níl go leor mothúcháin agam chun mo shaol a chur i mbaol.。

Ó faraor、Seachnaimid a leithéid de chaint a tharraingíonn na scamaill.。An sceitse uiscedhath seo、Cad a tharraing mé roimh an “saury” sin。Tá an scéal mar a luadh san alt an lá roimh inné.、Bhí mé spreagtha ag na líníochtaí daoine sa seomra ranga.。

mar thoradh、Níor thaitin an sceitse seo liom。Mar sin atá i gceist le staidéar.、Níl díomá orm ar chor ar bith.。Ag déanamh anailís ar na rudaí nach maith leat、Éiríonn an obair níos tábhachtaí ná an toradh.。

Cé nár thaitin liom conas mar a tharla sé mar sceitse.、Bhí spraoi agam agus mé ag tarraingt。Bhí sé ina hassle ar dtús, ach、Cé go raibh mé ag tarraingt mindlessly、marcaíocht de réir a chéile、I mbeagán focal, d'imir mé an iomarca.。Bhí sé sin go maith。

Conas liath a úsáid

「スーパーのさんまパック」 水彩

この絵パッと見た時に「スーパーのパックなんか見せてどうすんの?」と思ってもらえたら嬉しいスーパーで売っていた「春のさんま」(「秋刀魚」とは書いていなかった)

教室で「こんなモチーフも面白いと思うんだけど」とスーパーで撮った写真のコピー数枚を教室でビラビラ振ってみた難しいモチーフだから誰も持って行かないと思っていた

ach、ach。課題でもないのに次の会にみんな描いてきたではないか!しかもそれがみんな自分なりの個性的なポイントで捉えていてとっても良かった!嬉しくなったどころか逆に刺激も受けたんです
 もしも公募展などにチャレンジするならただ魚を上手に描いて見せるのではなくたとえば「スーパーマーケットの店頭で」という現代(時代)性のほうをテーマにするという方向もあるよねという程度の一例に過ぎなかったのに

それで自分も描いてみたってことサンマそのものより「パックに入って並んでいる」ことが狙いなので冒頭のように見てもらえたら嬉しいというわけです。Anois、ホルムズ海峡封鎖などで石油関連製品の品薄感が社会問題になってきているから、Sa chás seo freisin、「さんま」より「トレー」の方にピントを合わせる視点はより意味があるだろうと思う
 時間がかかるモチーフだというのは描く前から分かっていたがやっぱり結構時間かかった。agus、これは「グレーの使いかた」のいい課題になるなあとあらため考えた

Ní féidir le AI pictiúir a léamh

「ジャーマンアイリス」  アキーラ・水彩

「絵には何が描いてあるのか?」ってなんだかバカげた質問のように感じますよね?たとえば○○の風景とか△さんの肖像とかだろ。Ó faraor、それが普通・・でしょうか

「○○の風景」という題の絵の前で本当にこれがその地の風景だと思って見ているんでしょうか展覧会などで絵ではなく「絵を見る人」を鑑賞しているとわたしにはとてもそうは思えないんです例が適切でないかも知れませんがたとえばゴッホの「カラスのいる麦畑」。“Ní oráiste samhraidh é seo、麦畑にカラスがいる風景なんだなーってホントにそう思いながら見ている人など一人もいないんじゃないでしょうか

当たり前のようですが「カラスのいる麦畑」であなたが見ようとしているのは麦畑でもカラスでもなく「ゴッホ」ですよね麦畑の隅っこにイーゼルを立て短髪にぎょろぎょろした眼を光らせながら気が狂ったかのように筆をキャンバスに叩きつけるように描いている耳のない人あなたが見た「カラスの・・」にはキャンバスの端っこにゴッホが描かれていたはずです。agus、あなたはその麦畑のなかでカラスの声を聞こうとしていたのではなかったですか?
 多くの人はたぶんそういうふうに絵を見るそういうふうに絵を読んでいるんですよね

嬉しい?ことにそれがAIにはできない見方読み方だと思います○○風景という文字データと画像(映像)データがあればこれを結び付けさらにいまわたしが書いたような記事があればそれも読み込んで第三者にもっともらしく説明することはできるようです
Ach,、人間には「○○風景」というテキストデータがありそこに画像データがあるにもかかわらず「そこ(データ)にないものを読む」ことができるAIにすべてを奪われずなんとか共存していくためにも「絵を読む」ことに努めましょう