CGスケッチ

Apple on the note  CG

CGスケッチという単語があるかどうかは知らないがごく最近のわたしはなるべくCGでスケッチするよう意識している鉛筆が紙にこすれていく手触り感などひどく官能的でついそちらを使いたくなるがぐっと踏みとどまる

スケッチだから目の前には対象物がある紙のスケッチブックと同じように描いていくペンとかブラシとかの選択肢がめちゃくちゃ広いが使うのが何となく手触り感のあるブラシに偏りがちなのは普段から実物をつかっているせいだろうわたしはこれを経験からくる利点と考えるがある人はそれは欠点だという実作の経験がCGでの可能性を逆に狭めるなるほど

タブレットは確かに多機能できわめて便利であるが一番の難点は小さいこと。1mサイズで描きたいときでもせいぜい20㎝程度の中で描くしかない拡大すればいくらでも大きく描けるとうたわれているが具体的なサイズの違いは身体の使い方からして全く別次元の問題だたとえば大きな画面では立って描くそして腕を大きく使って描くがタブレットではそんなことはあり得ない

Men、その難点?こそタブレットのタブレットたる所以であるのだからわたしにとっては甘辛い。Anplis,、紙のスケッチではあとでそれを写真やスキャンしてパソコンに取り込み加工してきたがCGスケッチではそれが同時進行であるひと手間もふた手間も短いしかも完全にデータ化されどのような媒体にも横展開が容易であるしたがって使わないという選択はもったいなさ過ぎる—でもなあ紙に描くのが気持ちいいならそれがいいんじゃないか—1枚より100枚、1万枚の方がいいと考えるのはその方が「知識化」されやすいからだろう芸術の秘密は知識化されることでかえって失われるものもあるんじゃないか—悪魔がいつも耳元で囁く

Li fini 晨 春 Egzibisyon an,ja

青いカモメ   紙・アキーラ

春会展は昨日6日(日)午後五時で終了コロナ禍下躊躇はしたが開催して良かったと思っていますご来場の皆さんありがとうございました来場できなかったけれど応援してくださった皆さんありがとうございました厳しい意見を下さった皆さんありがとうございましたそれらの励ましを得てまた次回展への力にしたいと思います

東京・六本木の国立新美術館では春の美術展が軒並み作品は全国から搬入・審査し陳列までして開場しないという「異常事態」が続いていましたコロナを恐れるのは自然だけれど「(正確な知識で)正しく恐れる」という過剰反応しないようキャンペーンをしていたのは国や都県などの自治体だったはずですそれが突然開催を中止させること自体一貫した論理性もなくただ目の前の状況次第で行き当たりばったりの対応をとってきたということですそういう意味でわたしたちが冷静に判断し開催したのは論理的にも明快であったと考えています

観客が少ないのは予想済通り集計は聞きそびれましたが例年の三分の一程度でしょう観客のほとんどは高齢者出品者のほとんどが高齢者で各自がその知り合いにDMを出すのですからそれも当然ですが、5年後を考えるとこの展覧会もいろんな意味で瀬戸際に立っていると考えざるを得ません

入場者数の減少は必ずしもコロナのせいばかりではないでしょうコロナが収まれば回復するかと問えばわたしの答えはノーです展覧会をビデオで見ることができるなら今回会場に来て下さった方々でもそうするのではないでしょうかビデオで流すことができれば年齢や健康状態住んでいる場所に関わりなく見てもらえるチャンスがあります(膨大な数のビデオの中からどうやって探してもらうのかはさらに問題ですが)先にも書きましたが画像や映像で見るのと実物を見ることとは別物ですが見る見ないでいえばいずれにせよ見てもらう方がいいに決まっています若い人たちはとっくの昔にそう考えあらゆるものをそうした媒体に載せて発信していますわたしたち(だけでなく多くの)の既存の展覧会は遅れ過ぎているのです

晨春会はなぜそんなに遅れているのでしょうかひとことでいえば若い人がメンバーにいないからですなぜメンバーにならないのかあるいはスカウトできないのか若い人たちになぜ魅力がないのかどうやったら魅力を作り出せるのかそういったことをあまり考えてきませんでした来年も晨春会展はやるつもりですけれど5年先はあまり見えてきませんここ数年同じことを考えているのですが行動ができませんでした来年の今頃もまた同じことを考えていなければいいなあ—海へ行きたくなった

Maten Prentan Egzibisyon-2

Gold-medalist in Olympic 2021 ( oil on canvas)

晨春会展が始まり初日、2日目と連続で会場当番をした観客は閑散だがわざわざこんな時期に来てくれるだけあってほとんどの人が熱心に見てくれるありがたいことだ「何が何でも見たいと思った」という人は朝から晩までコロナコロナでくさくさしていた気分がスカッとしたといって帰っていったそれこそわたしたちの望んでいたこと

せっかくコロナを忘れに来たのに消毒来場者カードの記入など「またコロナか」と腹を立てた人もいると聞いたその人の気持ちもよく判る気がする他のいろんなイベント会場でのコロナ対策を参考にわたしたちもそれにかなり気を遣ったコロナそのものより「対策をしていない!」と細かく糾弾する「自粛警察」の巡回の方が怖かったのが本音だが日本にはこの手の「警察」がやたらと多いこのブログは10年前の東日本大震災の直後に始めたが当時も「節電警察」という語が巷に聞かれそのことについて書いている今とまったく変わるところがない

午後4時を過ぎるとほとんど人は来ない会場をぶらぶらしながら自分の絵をじっと見る自分の絵の後ろにある自分自身のの制作風景を見るそして10年前、30年前の自分と数年後の自分の制作風景を重ねて見るよく見れば、1枚の絵にはそういうことが描かれている会場のどの作品もそんな風景を持っているメンバーはほぼ一日中冗談しか言わないが誰もがそれぞれの風景を自分自身と重ねて見ているそういうメンバーでなければ35年も続くわけはないこの会は特別な会なのだ

ワクチン接種が進めば来年の今頃はコロナはもう記憶の彼方になるだろう大震災の時の節電騒ぎをもうほとんど忘れているように。mè、本当はわたしたちは深いところで傷ついているあの時も絵を描いたり音楽や芝居をやっている場合かと世間には冷たい目で見られ実際そのような仕打ちをされた大衆とはそういうものだ芸術はそういう大衆にとりあえずお茶をどうぞという仕事だその一杯で心の変化が起こることもあるだろうそれが芸術だとも会場をぶらつきながら考える