
日なたの八重のポインセチア。かたちがはっきりしているので、描きやすい花と思われそうだが、意外に難しい。日に当たった色は輝き、これを油絵はともかく、水彩で再現するのは容易ではない。Ето защо、再現ではなく、「印象を記憶する」スケッチになる。葉脈も深くて影が鋭く、かたちもいい加減にごまかせない。
暮れ近くになると、花屋さんの店頭にずらりと並び、これをスケッチする人もきっと少なくない。
日なたの八重のポインセチア。かたちがはっきりしているので、描きやすい花と思われそうだが、意外に難しい。日に当たった色は輝き、これを油絵はともかく、水彩で再現するのは容易ではない。Ето защо、再現ではなく、「印象を記憶する」スケッチになる。葉脈も深くて影が鋭く、かたちもいい加減にごまかせない。
暮れ近くになると、花屋さんの店頭にずらりと並び、これをスケッチする人もきっと少なくない。
ここ1年ほどスケッチばかりで過ごしてきた。たまには本画を描かないといけないと思いつつ。
サイズの大きな絵を描くと、発想が違ってくる。それは半分は脳の方から来るものだが、半分は身体の方からも来る。サイズが大きいと、筆のサイズが違う。一本の線の長さが違う。そこにかける腕の力が違う。その腕を動かす身体全体の姿勢や動きが違う。そしてそれを見る。―それが発想そのものに関わってくる。
明日はアメリカ大統領選挙の結果が分かる日。アメリカの一部の若い人たちには「どちらにも入れたくない」「不毛の選択」という気分があるようだ。第3の候補も初めはいたが、トランプ氏の差し出した条件に喜んで、さっさと支持者に回ってしまった。もっとも、その候補は若者に全く不人気だったのだが。
毎日ダラダラとくだらないことで忙しい。いろんなことで自分の時間を少しずつ削られ、少しずつ疲れていく。残り少なくなってきた自分の時間を、もっともっと大事にしよう。それが最優先。他人に愛想使っても、自分の時間が増えるわけではない、どころかその分やっぱり削られていく。憎まれるくらいがちょうど良さそうだ。